■■■平衡回路の基礎4・・・平衡入力回路■■■
Basic Theory of Balanced Circuit
マイクロフォン入力回路について考える前に、どうしても理解しておかなければならないのがファンタム電源のことです。ジャンルを問わず、普段私たちが聞いている音楽ソースの半分以上(というより圧倒的多数)はコンデンサ・マイクロフォンで録音されています。そして、コンデンサ・マイクロフォンは専用の電源を必要としますが、その電源は通常ファンタム電源と呼ばれる方式でマイクロフォン・プリアンプ側から供給されます。乾電池で長時間動作するエレクトレット・コンデンサ・マイクロフォンという方式も存在しますが、実際に使ってみればわかるとおり得られる音には歴然とした差があります。マイクロフォンを使ってまともな音を録ろうとするならば、ファンタム電源付のマイクロフォン入力回路を実装しておかないと実用性がありません。ファンタム電源の「ファンタム(phantom)」とは幽霊ことで、マイクロフォン・ケーブルしかないのに機器側からマイクロフォン側に電源が供給できてしまう・・・電源用のケーブルが見えない・・・ということからこの名がついたとどこかに書いてありました。ファンタム電源には、12Vタイプ、24Vタイプ、48Vタイプの3種類が知られていますが、特殊なケースを除いて48Vタイプが標準です。
そのしかけは下図のとおりです。まず、マイクロフォン・プリアンプ側にDC48Vの電源を用意します。トランス式の場合、ここから3.4kΩの抵抗で入力トランスのセンター・タップにつなぎます。マイクロフォンに供給される電流は、平衡伝送系のHotとColdの二手に分かれて流れます。マイクロフォン側では、送り出し用のトランスのセンター・タップから電流を取り出し、これをマイクロフォン内部の電源として使います。電流の帰り道はアースラインを使います。マイクロフォンから送られてくるデリケートなオーディオ信号に重畳して直流電流を送ってしまおうという大胆なしくみですが、こんなことができてしまうのも平衡回路のすごいところです。但し、ここで使用する2つのトランスの巻き線のDC抵抗は精密に揃えておかないと、トランスに流れる電流に偏りが生じてトランスの性能が劣化するのは、プッシュプル・アンプの出力トランスを同じです。
下図は、トランスを使わない電子式平衡入力回路の構成です。トランスのようなセンター・タップがないため、2個の6.8kΩの抵抗によってHotおよびColdに電流を振り分ける点を除けば、機能的には何ら変わることはありません。この場合、6.8kΩの抵抗値は精密に同じ値になるように揃えることが望ましいです。
ファンタム電源は48Vから3.4kΩの抵抗を挟んで電圧がドロップされるので、マイクロフォン側で10mAを必要とすると、マイクロフォンまでたどり着いた時には電圧は48V−(10mA×3.4kΩ)=14Vまで低下してしまいます。従って、ファンタム電源で供給できる電流の絶対的な上限は48V÷3.4kΩ=14.1mAということになります。著名なコンデンサ・マイクロフォンの消費電流は、そのほとんどが0.8mA〜6mAの間におさまっていますが、まれに10mAを必要とする機種が存在します。
ファンタム電源をONにすると、マイクロフォン入力には瞬間的に最大で+48Vの過渡電圧が印加されます。従って、ファンタム電源のON/OFFの操作タイミングには細心の注意がいります。ミキサーのフェーダーを上げたままファンタム電源をON/OFFするとモニター出力にとんでもなく大きな信号が出力され、モニタースピーカーを飛ばしてしまうことがあるからです。もちろん、その時にはモニタールームは爆音の洗礼を受けます。また、ファンタム電源をONにしたままの状態で、マイクロフォン・ケーブルの着脱をすることも厳禁です(こちらの方がより危険でしょう)。コンデンサ・マイクロフォンがTRSフォーンではなくかならずキャノン・タイプのコネクタを使用するのはこんなところにも理由があります。もちろん、マイクロフォン・プリアンプは平衡入力なので高いCMMRが得られていますが、それでも1%のアンバランスがあるだけで最大0.48Vの電圧が印加されるわけで、油断はできません。マイクロフォン・プリアンプの中には、ファンタム電源のON/OFFの際の衝撃を緩和する回路を組み込んだものも存在します。
古くから、ファンタム電源を使うと音が良い、といいわれています。マイクロフォンとマイクロフォン・プリアンプの入力の間には最小でも4ヶ所の接点ができます。ファンタム電源を使うと、4ヶ所の接点すべてに一定のDC電流が流れっぱなしになるために接点の状態が安定するからだ、とも言われています。
レコーディングの現場では、今でも多くのビンテージ・マイクロフォン・プリアンプが使われています。その代表格はOLD NEVEですが、NEVEのマイクロフォン・プリアンプは入力トランスが使われています。NEVEのようなビンテージ・モデルではない現行機種でも入力トランスが使われているものが多数存在します。実は、私が製作することが多いマイクロフォン・プリアンプの標準モデルにも入力トランスが使われています。今となっては、トランスを使う目的はほとんどすべて「音」のためだと言っていいでしょう。トランスを使うといとも簡単に平衡入力回路ができることはすでに述べました。トランスは、一般的には600Ω:10kΩ〜60kΩあたりが選ばれます。トランスで昇圧することで、少しでもアンプ部のノイズの影響を減らす工夫をします。600Ω:10kΩであれば巻き線比は1:4.08、600Ω:60kΩであれば1:10になります。これくらいの昇圧が得られれば、12AX7あたりを使った真空管回路でも十分に業務で使える雑音性能が得られます。基本回路は下図のようになります。左側が一般的なトランス式マイクロフォン入力回路で、右側は差動入力を使ったトランス式マイクロフォン入力回路の例です。
ラインレベルの入力でもトランス式平衡入力は存在しますが、インピーダンスの問題があるため今では業務機器ではほとんど姿を消してしまいました。それは、かつて平衡伝送が600Ωでインピーダンス・マッチングされていたのに対して、今では600Ωが意味を失ってしまったからです。
トランスを使用した場合の最大の問題点は、周波数特性が安定しないということです。トランスの周波数特性は、送り出し側の出力インピーダンス(内部抵抗)と受け側の負荷インピーダンス、そして受け側の入力容量の3つの要素の組み合わせでいかようにも変化し、低域がばっさりなくなってしまったり簡単にピークが生じます。たとえば、送り出し側の出力インピーダンスが低いと超高域に鋭いピークができやすくなります。受け側の入力インピーダンスが高くなると高域が下降気味になりますが、送り出し側の出力インピーダンスは非常に低いとその傾向は逆転します。時々、CDプレーヤーとメインアンプの間にライントランスを入れる話を聞きますが、まっとうな特性になるケースはまれで、多くのケースで周波数特性は強い癖を持ちます(その癖のせいで「音が変わった!」と叫ぶんでしょうね)。
今や、業務機器においても「ロー出し、ハイ受け」が普通になりました。業務機器の平衡出力におけるインピーダンスは50Ω〜200Ωの範囲にあるといっていいでしょう。一方で、ラインレベルの平衡入力インピーダンスは10kΩ〜20kΩが標準になりつつあります。このような条件下で、ンピーダンスによって極端に特性が変化してしまうトランス式の使用は問題が多すぎます。従って、トランス式平衡入力回路を構成する場合は、さまざまな条件において一体どんなことになるのか検証しておく必要があります。
電子式平衡入力は、マイクロフォン入力だけでなく、ライン入力にも多く使われています。電子式平衡入力のメリットは、なんといっても特性管理が面倒でコストがべらぼうに高いトランスがいらないということです。入力に差動回路を持った小型で高性能なOPアンプが廉価に手にはいるわけですから、平衡入力の標準は電子式ということで異論はないでしょう。
電子式平衡式のマイクロフォン入力は下図の例のとおりで、「マイクロフォン〜ファンタム電源〜DCカット・コンデンサ〜差動入力」の順番になるのが一般的です。廉価なマイクロフォン・プリアンプではいきなりOPアンプで受けますが、ちょっと上等なものになると初段に低雑音性能が優れたFETやトランジスタを使った前段を置いています。このDCカット・コンデンサには48Vの電圧がかかるのでそれなりの耐圧かつ低雑音のものが必要になります。ファンタム電源のON/OFFによって印加される電圧の大きさと極性には十分に注意しなければなりません。
出典:http://www.dself.dsl.pipex.com/ampins/mixer/mixerdes.htm
ライン入力では、ファンタム電源がないことと、インピーダンスが少々異なることを除けば基本的にはマイクロフォン入力同じと考えていいでしょう。現実には、マイクロフォン入力には1V以上の信号が入ることがあります。コンデンサ・マイクロフォンを使い、目の前でブラスをがんがん鳴らせばそれくらいの信号レベルになってしまうからです。一方で、ラインレベルといえども数十mV以下の微小な信号を扱うことがあります。そのように考えると、業務機材が扱う信号レベルの落差は半端ではないことがわかります。ですから、業務機材では、マイクロフォンが扱う信号レベルとライン入力の信号レベルが「同じ」であるものすらあります。違うのは、ファンタム電源がないことと、インピーダンスが少々異なることだけです。
業務機器のほとんどは入出力のみ平衡回路になっていて、内部の増幅回路やそれに付随するもろもろの回路は不平衡回路で構成されています。そのため、音量調整回路(フェーダー、ボリューム)はごく普通のボリューム回路か、凝ったものでT型フェーダーを使っていても、伝送形態は不平衡です(下図左端)。
平衡回路のままボリューム回路を作ったらどうなるのでしょう?上図中央のような回路でいいでしょうか。この回路では、ボリュームMAXの時だけ平衡になり、ボリュームを絞ってゆくにつれて平衡状態が失われてゆきます。ボリュームの位置に関係なく、常に平衡状態を保とうとすると上図右端のように、HotとColdで上下対称になります。但し、この方式はボリュームのギャングエラーの分だけ平衡度は損なわれます。ボリュームではなく、スイッチを使ったアッテネータでも同様にHotとColdで上下対称になります。