違いがわかる男
2000.2.15
弟子 「ここしばらく、当り障りのない話題が続きましたけど、そろそろやりませんか、師匠。」 師匠 「四十も半ばを過ぎるとね、そういうエネルギーが減って来るんだよ。」 弟子 「おとぼけは通用しませんよ、ここでは。」 師匠 「ははは、ばれたか。」 弟子 「今回のテーマは『違いがわかる男』ですからね。」 師匠 「『違いがわかる男』かぁ、そんな奴いるのかなあ。」 弟子 「たくさんいるじゃないですか。出力菅を取り替えたら音ががらっと変わったとか、ケーブルはどこそこのじゃないと話にならないとか。」 師匠 「そういえば、いないことはないな、そういう人。」 弟子 「オーディオの世界って、違いがわからないとちょっと居心地悪いですよね。」 師匠 「そういうことを言うってことは、君は、違いがわからないんだな。」 弟子 「そういうキツイことをおっしゃらないでください。」 師匠 「いやいや、率直なところを聞きたいんだよ。見栄を張ることはないさ。」 弟子 「わかる時もありますけど、さっぱりわからないことも多いです。」 師匠 「ふむふむ。」 弟子 「でも、みなさんは、いつもおわかりになるみたいで。些細な違いもね。」 師匠 「そういう人は、必ずといっていいほど、いつも違いがわかっていて、しかも、殊更に違いを強調したりするみたいだねえ。」 弟子 「はい、そのとおりで。」 師匠 「違いに生きているんだなあ、きっと。」 弟子 「なんですか、それ。」 師匠 「違いがわかることが生き甲斐なのかもよ。もっと言っちゃうと、違いがわかることを周囲に伝えることがその人の重要な価値観であり、喜びであり、プライドなんだな。」 弟子 「確かに、違いのわかり方が大袈裟なところがありますね。」 師匠 「ちょっとの違いをね、増幅するんだな。スピーカを1cmずらすと出てくる音が『がらり』と変わり、アンプに漬物石を載せると出てくる音が『決定的』に変化し、球の銘柄が変わると『聴くに耐えない音』になるわけだ。」 弟子 「よく聞く話です。」 師匠 「馬鹿言っちゃいけねえよ、って思うね。」 弟子 「はあ。」 師匠 「ほんとうに違いがわかる人はね、そんな誇張した言い方はしないよ。もっと慎重で、奥ゆかしく、繊細だ。そして、控えめだね。」 弟子 「そういう人って、あまり見たことありませんけど。」 師匠 「オーディオに限らずどんな世界でも、職人とかプロフェッショナルといわれる人達は、違いに関して恐るべき繊細さを持っているよ。」 弟子 「そういえばそうですね。」 師匠 「それもね、100年、200年というレンジで同じものを作り続けているような人達ほど、違いに対する感度は高いんじゃないだろうか。」 弟子 「毎年異なる作柄の材料を使い、異なる気候や変化する環境のなかで、いつも変わらぬ一流品を作り続ける、なんていうのははんぱなもんじゃないですね。」 師匠 「ワインだけじゃなくて、ビールの製造・開発をやっている人もね、2000種類を越える香りを識別して、それを言葉で表現するそうだよ。」 弟子 「ほえ〜。じゃあ、色なんかも同じにするのは大変なんでしょうね。」 師匠 「ははは、ところがビールの色ってやつは、どうにでもなるんだそうだ。同じ味で透明なビールだってできるんだってさ。」 弟子 「素人には想像できない世界ですね。」 師匠 「何も知らない奴は、闇雲にあれもこれも変えようとしたり、ところかまわず違いを見つけては騒いじゃうけど、職人の世界でいう違いってのはもっと論理的かつデリケートなんだな。」 弟子 「同じブランドのビールの色が時々違ったりしたら、たとえ味や香りが同じでも、消費者はいらぬ詮索をしちゃいますね。」 師匠 「そういうことにならないように、ビール工場では、同じ色になるように細工をしなきゃならないわけだよ。」 弟子 「う〜ん、だんだんわけがわからなくなってきました。」 師匠 「ひらたく言うとね、世の中、同じものなんてないんだよ。同じだと思っているあらゆるものが、実は、いろいろな点で違いがあるんだから、違いを見つけるなんていうのは、誰でもできちゃうことなんだ。」 弟子 「はあ。」 師匠 「ただね、意味のある違いと、あまり意味のない違いってのがある。」 弟子 「さっきのビールの色みたいにですか。」 師匠 「それから、常に違いがわかるなんてことは決してなくて、『わからない』ときはちゃんと『わからない』って言う勇気を持っているかどうかだね。」 弟子 「『わからない』って言うには、勇気がいりますね。」 師匠 「いつも違いがわかるって言う人はね、いつも違わなくちゃいけないって思っているんじゃないかと思う。そして、心のどこかで、わからない人のことを見下しているかもしれないよ。」 弟子 「オーディオにうるさい人と話していると、そういう見えない力を感じることがよくあります。」 師匠 「俺はわかるぞ、俺はわかるんだぞ、ふーん、君はわかんないのね、こ〜んなに違うってのに、わからないんだぁ〜、ちょっとおかしいんじゃないの、あんたってね。」 弟子 「もしかして師匠、どこかでいじめられましたね。」 師匠 「そういう奴は相手にしちゃ駄目だよ、ほっとかないと。」 弟子 「その方が賢明ですか。」 師匠 「結局、君自身が嫌な思いをすることになるよ。」 弟子 「でも、やっぱり、違いがわからないというのは格好悪いですよ。『君にはこの違いがわからないんだね』なんて言われたまま、引き下がりたくないです。」 師匠 「君も負けずに見栄っ張りだねえ。」 弟子 「ははは、私みたいな実力のない見栄っ張りって、始末が悪いですね。」 師匠 「あのね、ほんとうに実力のある奴はね、見栄なんか張る必要はないんだよ。」 弟子 「じゃあ、私はどうしたらいいんでしょうか。」 師匠 「感じたことを素直に自分のものにすればいいじゃないか。それも自分の言葉を使ってね。」 弟子 「アンプの試聴会なんかで、皆さんが、あのアンプの音はこうだ、このアンプの音はああだ、ってわいわいやっているじゃないですか。」 師匠 「それに参加してもっともらしい何かを言いたいんだね。」 弟子 「はい。」 師匠 「もっともらしい何かっていうのは、所詮、嘘じゃないか。」 弟子 「ま、そう言ってしまえば、そのとおりなんですけど。」 師匠 「『ふ〜ん、そういうもんなんかね〜』くらいに思って、静かに聞いていればいいじゃないか。どうせね、大したこと話していやしないんだから。話題に参加するために、君の魂を売ることはないよ。」 弟子 「それを聞いてちょっと安心しました。」 師匠 「人の感性はとてもデリケートなものだから、大切に扱わないと駄目になっちゃうよ。特に、他人の押しつけがましい感性が押し寄せて来ると、デリケートな人ほどダメージは大きいからね。」 弟子 「自分の感性を大切に扱えっておっしゃるんですね。」 師匠 「大切なものを、無闇に人前に晒したり、ひかけらかすことはないんじゃないか。」 弟子 「人間って哀しい生き物ですね。それがなかなかできない。」 師匠 「そこまでわかっているんだったら大丈夫だよ、きっと。」 弟子 「ところで師匠、師匠は球ごとの音の違いだとか、スピーカのセッティングの位置による音の違いの微妙なところって、わかるんですか。」 師匠 「ははは、どういう答えを期待しているんだね。」 弟子 「はぐらかさないで、ちゃんと答えてくださいよ。」 師匠 「わかる時と、わからない時とがある。わからない時の方が圧倒的に多い。わかる時は、非常に時間がかかる。」 弟子 「なあんだ、私と同じじゃないですか。でも、どうしてだろう。いつもおわかりになっていらっしゃるとばかり思っていました。」 師匠 「だって、ちゃんとわかった時しか言わないもん。」 弟子 「じゃあ、わからない時は?」 師匠 「はっきりと『わからん』って言う時と、黙っていろいろと実験する時とがあるなあ。」 弟子 「でも、師匠は、どう違うのかをあまりおっしゃらないですね。HomePageのアンプの製作記事を読んでも、試聴レポートというものがありません。」 師匠 「書いて何になるね。」 弟子 「たとえば、ピアノのハンマーが空気を叩く様子がわかるとか、バスドラの空気感が伝わってくるとか、ボーカルがくっきりとしてみずみずしいとか、パーカッションの立ちあがりがいいとか、弦の脂(ヤニ)が飛び散るような感じが出ているとか、オケの奥行きがひとまわり深いとか・・・」 師匠 「やめてくれ〜!」 弟子 「駄目ですか、そういうの。」 師匠 「わかってるくせに。」 弟子 「ちょっといじめさせていただきました。」 師匠 「テレビのさ、グルメ番組で売れないタレントがレストランの料理並べて、下手な表情作りながらああだこうだ言うじゃないか。ああいうのを聞いて、どんな味か想像できるかい。」 弟子 「駄目ですね、それは。でも、ソムリエなんかは、言葉で違いを言うじゃないですか。ソムリエって、ワインの違いを言うのが商売なんでしょう。」 師匠 「どうも世間ではソムリエなる職業を誤解しているみたいだね。彼らは、接客のプロフェッショナルなんであって、ワインの違いに関してはおまけみたいなもんだよ。」 弟子 「えっ、そうなんですか。」 師匠 「給仕という職業でなければソムリエにはなれないんだよ。あくまで給仕が本業で、ワインに関する知識はおまけなんだ。だから、優秀なソムリエは、ワインの違いについてごちゃごちゃ弁舌したりしないよ。そのお客、そのテーブル、そのタイミングに相応しいワインを一発で見ぬいて、おすすめしてくれるのがソムリエってもんさ。」 弟子 「なのに、エチケットをわきまえないお客はソムリエに議論を吹っかけるんですね。」 師匠 「ソムリエになる訓練の中には、そういうばかばかしい議論に巻き込まれないためのプログラムもあるわけだよ。それから、レストランにやってきたカップルの男性の方が知ったかぶりをやったりしても、彼に恥をかかさないように気の利いたテーブルにしてくれるのが、本当に優秀なソムリエなんだな。」 弟子 「違いがわかるだけじゃ全然駄目なんですね。ところで、師匠にとってのソムリエとは何なんですか。」 師匠 「このワインはどんなワインですか、なんて聞かないね。『シャープで繊細な白で、それでいてこくがあり、アフターが長いです』なんていわれたって、そういうワインなんて世界中どこにでもあるからね。それくらいなら『これは南仏産のクレマン(シャンパーニュ以外の発泡酒)ですがセパージュはピノノワール主体で、瓶内二次発酵させています』って具体的に製法を言ってくれた方がずっとわかりやすいし、どんなワインか見当がつく。」 弟子 「シャルドネ主体じゃないってことは、ちょっとこくに特徴があるんでしょうね。」 師匠 「でもね、それじゃあお客もソムリエも面白くない。それよりも『ピノノワールがお好みですか。それでしたら、これはいかがでしょうか。イタリアのワインなんですが、今日のお料理でしたらこれをお試しになったら気に入られると思います』って言いながら、全然知らないワインを勧めてくれた方がはるかに楽しいね。」 弟子 「スリルがありそうですね。」 師匠 「ここはひとつ、ソムリエ氏のおすすめに賭けてみようじゃないか、っていうことでテーブルも盛り上がるってもんさ。テーブルを盛り上げるのがソムリエの真髄なんだからね。読みの深いソムリエが勧めてくれるワインは、ほんとうにスリリングだよ。」 弟子 「ソムリエがいない場合はどうされますか。」 師匠 「同席している女性に似合うワインを選ぶってのはどうだい。」 弟子 「へっ?」 師匠 「今日は明るくてすてきな奥様がご一緒ですから、非常に華やかな香りが特徴で、濃厚なすみれ色が魅力的な南アフリカ産のピノタージュを選びました、とてもお似合いだと思いますよ、なんてやったことがあるんだけど、むちゃくちゃ盛り上がっちゃったよ。でも、こういうのはワイン選びの邪道なのかなあ。」 弟子 「師匠、なんだか話題がそれていませんか。」 師匠 「君がソムリエの話題なんか持ち出すからだよ。うまい赤が飲みたくなってきちゃったじゃないか。」 弟子 「ちょっと休憩しましょうか。」 師匠 「なかなかいいこと言うねえ。ラングドックのプドゥさんが作ったシラーの新樽熟成のすごいのがあるから、これ、開けるね。」 ちょっと休憩です
弟子 「さっき、ワインの話題の中で『具体的に製法を言ってくれた方がずっとわかりやすいし、どんなワインか見当がつく』っておっしゃってましたけど、これはアンプにも言えますね。」 師匠 「そうだろ。アンプの場合だったら、設計思想だとか、部品の使い方だとか、回路構成に対する考えだとか、そういうことさえちゃんと伝わってくれれば、下手な試聴レポートなんかよりよっぽど役に立つんじゃないか。」 弟子 「おっしゃることはわからないわけではありませんけど、ちょっと難しそうですね。」 師匠 「ちょっとね、難しいよ。でも、それくらいの勉強はしていただかないと。それに、このHomePageは、自分でアンプを作る人がアクセスするんだぜ。料理人相手の番組で、食べた時の主観的な感想ばっかり紹介してどうするんだい。」 弟子 「それもそうでした。」 師匠 「話を元に戻すとね、音の違いを大騒ぎして吹聴するのは、ぼちぼちおしまいにしようじゃないか、って言いたいんだよ。」 弟子 「そんなこと聞いても、結局、どんな音なのかはわかりませんからね。」 師匠 「いつも音にうるさいことを言って周囲を恐怖に陥れている奴の家に行ってみたらさ、とんでもなくひどい音だった、な〜んていう話は掃いて捨てるほどあるからねえ。」 弟子 「始末が悪いのは、いつも音にうるさいことを言っていて、しかも、その人のお宅の音もかなりのレベルっていう場合ですね。」 師匠 「虎穴に入るか、やめとくかは君の自由だよ。それから、常に明確に違いがわかるっていう奴は、かならず嘘がある。たいてい、本人は自分の嘘に気づいていない。」 弟子 「世の中には、むちゃくちゃ耳が良くて、我々凡人にはわからない違いさえも明確にわかっちゃう人もいるって、誰かが叫んでましたけど。」 師匠 「そういう人もいるかもしれない。ただし、その人の言動がどうであるかの方が重要だね。違いがわかるんだったら、さっきも言ったけど、誇張した言い方はしないで、慎重で、奥ゆかしく、繊細で控えめでなければならない。ま、人が何を言おうと、言論の自由ってもんがあるから、僕はこれ以上は注文つけないよ。」 弟子 「師匠、さっきから十分たくさんの注文つけてますよ。」 師匠 「『違いがわかる男』はね、責任が重いんだよ。」 弟子 「言動軽々しからず、がいいんですね。」 師匠 「コマーシャルに出てくる『違いがわかる男』だって、べらべらしゃべらないだろう。」 弟子 「それに『男は黙ってサッポロビール』ですもんね。」 師匠 「べらべらしゃべりたい奴と、そういうのを聞きたい奴はね、アメリカの健康器具のコマーシャルを一晩中見てたらよろしい。」 弟子 「あれって、結構面白いですよ。」 師匠 「勝手にしろ。」
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