オーケストラと楽器の話
2000.3.24
弟子 「今回はオーディオの話題じゃないんですね。」 師匠 「オーディオ乞食ばかりやっていると、視野が狭くなっちゃうだろ。」 弟子 「オーディオにどっぷりはまっていることこそ幸せだっていう人はたくさんいますよ。」 師匠 「それはそれですきにすればいいと思うけど、せっかくいい音で音楽が聴けるように日々努力しているんだから、音楽の話題に目を向けたっていいじゃないか。」 弟子 「というわけで、オーケストラと楽器の話題なんですね。」 師匠 「ところでさ、オーケストラにはコンサートマスターっているだろ。」 弟子 「ステージに向かって左側の一番手前でヴァイオリン弾いてる人ですね。」 師匠 「うん。コンサートマスターというのは、一体何だと思うね。」 弟子 「団員のなかで一番ヴァイオリンがうまい人。たぶん、団員のなかで一番エライ人。」 師匠 「なるほどね。当たらずとも遠からじだな。じゃあ、彼の役割は何なんだろう。」 弟子 「指揮者ではないんだけど、指揮者のように音を出すタイミングを指示したりして、指揮者の機能を補う人。」 師匠 「なかなかいいとこ突いているね。じゃあ、指揮者は?」 弟子 「楽譜に書かれた曲を音楽として作り上げる人。」 師匠 「なるほどね。なんで、コンサートマスターが指揮者の機能を補う人だと思うんだね?」 弟子 「だって、曲の出だしのところで、タイミングを合わせるように上体を動かしたりしているし、ヴァイオリンの弓を必要以上に派手に動かして、なんだか指揮でもしているみたいなんですもん。」 師匠 「おお、よく見ているじゃないか。そのとおりだよ。曲の出だしのタイミングを合わせるように、一拍前に大きく息を吸ったりするから、最前列の客席だと息を吸う音が聞こえるんだな。」 弟子 「ねえ師匠、指揮者だって音の出だしのタイミングを体や指揮棒の動きで指示してますよね。」 師匠 「ははは、ところがね、音を出す正確なタイミングをきっちり指示している指揮者というのはあまりいないんだよ。」 弟子 「はっ?」 師匠 「フルトヴェングラーが指揮している映像を見てごらん。どこで音を出したらいいのか、さっぱりわからないから。」 弟子 「う〜ん、たしかにそうですね。指揮棒を高いところからおりゃ〜っぐにゃぐにゃぐにゃ〜ってのた打ち回りながら振り下ろしてますね。」 師匠 「あれは、オーケストラの団員の間で問題になったらしいんだ。仕方ないから、下方45°の角度になったら音を出したらいいとか、振り下ろしてからいい加減我慢し切れなくなった頃に出たらいいとか、いろんな説が流れた。」 弟子 「そういえば、ベームもカラヤンもクライバーもわかりにくいですね。」 師匠 「カラヤンの場合は、わざと音を出すポイント(打点という)をわかりにくくして、オケの各パートの音が微妙にずれるように仕組むことであの独特のカラヤンサウンドを作り上げている、なんていうことまで言われているね。」 弟子 「コンサートマスターがいなかったらえらいことになっちゃいますね。」 師匠 「そのとおり。だからね、団員は迷ったら必ずコンサートマスターを見る。打点が不明瞭な指揮者でも、出鱈目な音楽にはならないんだよ。もちろん、へぼ指揮者の場合は、オーケストラの団員は指揮者の言うことなんか全然聞かないでコンサートマスターしか見てない。へぼ指揮者の棒のとおりに演奏したら、音楽が壊れてしまうからしょうがないよね。」 弟子 「指揮者にとっては、オーケストラが自分についてくるのか、そっぽを向いてしまうのか、とっても怖いですね。」 師匠 「そりゃそうさ、コンサートマスターが謀反を決意したら、指揮者は黙っていなくなるしかない。」 弟子 「ところで、オーケストラの団員全員からコンサートマスターがちゃんと見えるわけじゃないですよね。」 師匠 「正確にはね、各パートの演奏者はまず第一に自分のパートの首席奏者を信頼し、彼にタイミングを合わせる。弦楽器の場合は基本的に2人ずつセットになっていて・・これをプルトという・・客席に近い側が上位になり、前に行くほどやはり上位になる。その先頭が首席奏者というわけだ。第一ヴァイオリンの場合は、首席奏者=コンサートマスターだね。」 弟子 「いちばん前にいる4人の首席奏者が合えば、後ろにいるすべての弦楽合奏は自動的に揃うというわけですね。オーケストラって、指揮者がいなくても演奏できるんだ。」 師匠 「ただね、感情移入だとか、テンポの思いきった変化だとか、激しい盛り上がりをつくるなんていうことはできないから、やっぱり指揮者がいないと芸術にはなりにくいんだね。」 弟子 「そういえば、弦楽四重奏なんかだと、第一ヴァイオリン奏者を中心にして、4人がしきりに目を合わせて演奏してますね。」 師匠 「弦楽四重奏もオーケストラも、基本的にメカニズムは同じなんだよ。目を合わせる、曲を合わせる、という精神が浸透していないと団員は勤まらないってことだね。」 弟子 「ところで、弦楽器って、弓を往復させて弾きますけど、どうしてオーケストラ全体でちゃんと上下の向きが揃っているんですか。」 師匠 「右手で弓を持って、押す動作をアップ、引く動作をダウンといってね、記号で書くとアップは『∨』、ダウンは『Π』という風に書くんだよ。」 弟子 「書くっていうことは、楽譜にそう書いてあるんですか。」 師匠 「そういうこと。一部の現代曲を除いて作曲者がそういう記号を楽譜に書くことはないので、オーケストラの弦楽器の首席奏者の間でだいたいのところを決めるんだよ。もちろん、指揮者は必要に応じてそれを変更するんだけどね。」 弟子 「弦楽器も結構大変なんですね。」 師匠 「ダウンの方がアタックが強くできるから、強い音を連続させたいときは全部ダウンを指定して、ガッ、ガッ、ガッって演奏することもあるし、やわらかい響きで静かに出たい時はアップにするわけだね。連続する音を1回のアップで弓をすべらせながらスッ、スッ、スッって弾くこともあるね。」 弟子 「弓のアップ・ダウンって奥が深いんですね。」 師匠 「たとえばね、タンタタ、タンタタという風に弾むようなリズムの時はね、最初の『タン』をダウン、続く『タタ』をアップ、アップで弾くなんていう芸もあるんだ。アップ、アップの時は弓をうまく弾ませないと揃わないけど、名手が弾けば弦楽合奏全体で躍動感のあるリズムになってくれる。」 弟子 「なんだか難しそうですね。」 師匠 「だからね、アマチュアの下手糞オケだったら、1回目の『タンタタ』はダウン、アップ、ダウン、2回目の『タンタタ』はアップ、ダウン、アップなんていうなさけないことになってしまう。出てくるリズムも重く引きずるようにしかならない。」 弟子 「技の問題ですね。」 師匠 「それもあるけど、弓の良し悪しの方が大きいかもしれない。」 弟子 「どういうことですか。」 師匠 「出来の良い弓だったら、下手糞が弾いても驚くほどにきれいなリズムが刻めるんだよ。1本100万円以上はするみたいだけど。」 弟子 「これからは、弓のアップ・ダウンも気にするようにしてみます。」 師匠 「楽器のしくみや奏法をある程度理解していると、演奏者がどんな風に音楽を解釈しているか、とてもわかりやすくなるんだ。小学校の音楽の授業でリコーダー(つまり縦笛ね)をやったことがある人は多いと思うけど、そこでタンギングというのを教わっただろ。」 弟子 「舌で軽く叩くようにして、音にアタックをつけるあれですね。」 師匠 「音楽の授業で習うタンギングは1種類しかないけど、大きく分けても4種類はあるんだ。」 弟子 「どんな風に違うんですか。」 師匠 「これをね、『テデレケ』というんだ。」 弟子 「なんですか、それ。」 師匠 「『テ』『デ』『レ』『ケ』って発音してみてごらん。それぞれ、アタックの強さが違うだろ?」 弟子 「『テ』がいちばん強くて、舌で叩きますね。『デ』は心持ち弱くて、『レ』だと舌は歯に当たらなくなって、『ケ』は喉の奥で息をコントロールするだけです。面白いですね。」 師匠 「リコーダー奏者は、この『テデレケ』(だけではないんだけど)を駆使して音に表情を与えるんだよ。」 弟子 「じゃあ、ピアノはどうなんでしょうか。」 師匠 「ピアノについては、非常に精密に理論化されていて、話し出すときりがないけどいいかい。」 弟子 「ちょっとだけにしてください。」 師匠 「じゃ、ちょっとだけね。同じ音をね、4回続けて叩く時どの指を使うね。」 弟子 「あ、わかりました、人差し指で弾く時と、小指で弾いた時とでは、タッチが変わるから音も変化するっておっしゃりたいんでしょう。」 師匠 「いや、その先だよ。」 弟子 「えっ。」 師匠 「同じ音を4回続けて叩く時に、同じ指で4回弾くのと、人差し指と中指で交互に弾くのと、親指からはじめて薬指まで順繰りに指を変えて弾くのとでは、やはり表情に大きな変化が出るってことが言いたかったんだよ。ま、こんなのは初歩的なテクニックだけど。」 弟子 「ものすごくデリケートな世界ですね。」 師匠 「音楽を楽しむのに、そんなしかけについて知る必要はないのかもしれないけど、球や部品による音の違いにばっかりこだわってないで、せっかくならそういうことにも関心を持ったっていいじゃないか、と思うんだよ。」 弟子 「音楽に関係する音の違いっていうと、スタンウェイとベーゼンドルファーの違いとか、ストラディヴァリウスとアマティの違いとか、どうしても即物的な違いにばっかりこだわってしまいますね。」 師匠 「音楽の演奏の場にまで、試聴会の価値観を持ち込んじゃだめだよ。」 弟子 「ははは、まったくそうですね。」 師匠 「オーケストラという組織のメカニズムだとか、楽器の奏法といったことの方がはるかに大きな違いになって現れてくると思うね。しかも、この違いは演奏者の意思が明確に音に反映されてくる問題だから、単なる楽器の銘柄の違いとは次元を異にするんじゃないだろうか。」 弟子 「でも、やっぱりストラディヴァリウスかそうじゃないかなんていうあたりは気になります。」 師匠 「現存するストラディヴァリウス氏の手になるヴァイオリンといったって、その出来はいろいろだよ。」 弟子 「ストラディヴァリウスにもいろいろあるんですか。」 師匠 「あたりまえじゃないか。ヴァイオリンなんて、今も、1つ1つ材料を吟味して、その材料に応じてニスを調整したりして、手をかけて作るもんなんだから。」 弟子 「街の楽器屋で売っているヴァイオリンてどうなんですか。」 師匠 「スズキだとかカール・ヘフナーみたいに工場でパカパカ作ってるやつね。そういうのはちょっとコンサートでは使えないなあ。学校の教材で使っているプラスチック製のリコーダーと同格と思っていい。」 弟子 「10万円以上もしてもですか。」 師匠 「リコーダーだと、数万円以上だせばそれなりにいいものが手に入るけど、ヴァイオリンの場合は、最低でも100万円は出さないと音にならない。そして、1000万円出したら素人でもはっきりわかるくらい弾きやすく、音もいい。5000万円出したら、もっと良くなる。きりがないんだ。聞きかじりだけど、ストラディヴァリウスだったら、2000万円程度の価値のものから2億円を越える価値のものまで、かなり幅があるらしい。」 弟子 「ストラディヴァリウスだから凄いっていうわけでもないんですね。それにしても、うっかりヴァイオリンなんかに手を出せませんね。」 師匠 「だから、弦楽器屋には詐欺師が多いんだよ。」 弟子 「うへっ。」 師匠 「ちょっと脱線しちゃったから、話を戻そうか。」 弟子 「音楽を作り上げて行くプロセスだとか、演奏法のしくみなんかに興味を持ってしまうと、オーディオどころじゃなくなっちゃいそうですね。」 師匠 「おいおい、音楽の世界はもっともっと広いよ。楽譜の世界ってのもあるからね。」 弟子 「楽譜にもいろいろあるっていうことなんですか。」 師匠 「ありすぎて困るくらいね。」 弟子 「元になる曲は1つじゃないんですか。」 師匠 「1つじゃないから面白いというか、困ったもんだというか。オリジナルの楽譜がきれいに残っているというわけではないし、オリジナルが残っていたとしても手書きであちこち消してあったり、とにかく、読み取れない個所だらけというのが普通だからね。」 弟子 「楽譜出版屋は、そういうのを適当に解釈して出版しちゃったんでしょうか。」 師匠 「全くそのとおりなんだよ。しかも、オリジナルを改変するなんてしょっちゅうだったからね。それに加えて、19世紀にはいって、ロマン主義が台頭すると、みんなして古典作品を勝手にいじりはじめちゃったもんだから、今、売られている楽譜なんてもうずたずたになっちゃっている。」 弟子 「音楽之友社や全音から売られているミニチュアスコアなんかは、どういう版を使っているんでしょうか。」 師匠 「ベーレンライーター社と提携しているとか、原典版として出典が明示されていないやつは、みんな海賊版だと思っていい。」 弟子 「え、海賊版なんですか。」 師匠 「出典の記載がないということは、イコール海賊版ということになるんだ。だけどね、よくよく見ると、どの版をパクったのかくらいはすぐにわかっちゃうね。で、パクられた版と丁寧に比較してゆくと、必ず、何箇所かを意図的に書き換えてある。」 弟子 「どんな風に書きかえるんでしょうか。」 師匠 「ないはずの音が書き加えられていたり、タイやスラーの位置が違っていたりね。」 弟子 「信じられませんね。」 師匠 「楽譜なんて、そうやって流通してきたんだよ。だから、原典版(Urtext Editionという)を出版しようというアプローチは、ずたずたになってしまったオリジナルを再び元に戻そうという事業が行われているんだ。特に、シューベルトやモーツァルトの原典版は有名だね。最近では、ベートーヴェンの交響曲の原典版が出たし。」 弟子 「すべてが元に戻れば、作曲家の意図が現代にもちゃんと伝わるってわけですね。」 師匠 「ところが、そういうわけでもないんだ。ベートーヴェンの原典版ではね、どう考えてもこの音は間違えたんじゃないか、という部分もあるんだよ。」 弟子 「オリジナルに間違いがあったっていうことですか。」 師匠 「ありうる話じゃないか。」 弟子 「信じられませんね。」 師匠 「音にして聴くと、やっぱり変なんだよ。」 弟子 「だから、楽譜の出版屋が書き換えちゃったんですね。」 師匠 「そういう問題があまりない作曲家もいるけどね。ブラームスやマーラーみたいに。」 弟子 「マーラーの作品は、本人によって何度も加筆されて、複数の版があるんじゃなかったでしたっけ。」 師匠 「そのとおりなんだけど、マーラーの作品の演奏用の楽譜は、マーラー協会が仕切っていて市販されていないんだよ。すべて貸し譜になっていてね、ばっちり管理さちゃっているわけ。」 弟子 「じゃあ、ブラームスは?」 師匠 「彼の場合は、気に食わない作品はすべてブラームス自身の手によって処分されちゃったから、怪しい楽譜は残っていないのさ。」 弟子 「なんだかもったいないですね。実際のオーケストラでは、こういう楽譜の問題はどうやって管理しているんですか。」 師匠 「まともなオーケストラは、ライブラリアンという楽譜の専門家を置いているんだ。実は、僕は昔ライブラリアンをやっていたことがある。」 弟子 「なぁんだ、そうだったんですか。」 師匠 「楽譜に関する情報のいくつかを紹介しておくとしようか。」
作曲家の森
ベートーヴェンの交響曲の原典版
マーラーの交響曲第1番の新校訂版
ブルックナー:第2交響曲のハース版スコア
本の紹介:"The Musician's Guide To Symphonic Music"
モーツァルト「レクイエム」の版について弟子 「こういう文献を見ていると、楽譜の世界ってむちゃくちゃ奥が深いっていうか、私達、ほんとに何にも知らないで音楽を批評してきたんですね。」 師匠 「真空管の銘柄の議論なんか、楽譜の問題に比べたらあきれるくらい単純でおめでたいだろ。」 弟子 「師匠、そういうことをおっしゃると、またまた袋叩きに遭いますよ。」 師匠 「ははは、どんどん叩いてくれたまえ。叩けば叩くほど、そいつの視野はどんどん狭くなっていくだけさ。」 弟子 「オーディオ乞食としてですか。」 師匠 「なにも専門家になれって言ってるんじゃないよ。そういう世界もあるんだなあ、くらいの認知があるのとないのとでは人生の幅が違うんじゃないかと思ってさ。」 弟子 「確かに、作曲家が残した唯一の情報は楽譜ですし、それを音楽として演奏する時に、楽器や奏法の知識は教養としてとても意味がありますね。」 師匠 「やっとわかってきたね。」 弟子 「何がですか。」 師匠 「『教養』の意味がさ。」 弟子 「私、教養がないことが誇りなんですけど。」 師匠 「おやおや、教養がない奴に誇りがあるとは知らなかったよ。」
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