二十世紀のオーディオを総括する
2000.12.31
弟子 「いよいよ二十世紀最後の日になっちゃいましたね。」 師匠 「仕事柄、去年Y2K問題で泊まり込みやって大騒ぎしたから、もういっぺん騒ぐ気も起こらないね。」 弟子 「でも、正真正銘これで二十世紀はさよならですよ。」 師匠 「できればさよならしたくないなあ。二十一世紀には来てもらいたくない。」 弟子 「あんまり明るくないからですね。」 師匠 「真空管にとっても過酷な世紀になるわけだし。」 弟子 「そうですね。後世の歴史年表では、真空管が絶滅するのは二十一世紀ということになるでしょうね。」 師匠 「それだけじゃなくて、オーディオという分野も絶滅しそうな気がするんだ。」 弟子 「ということは『二十世紀のオーディオを総括する』というテーマは存在しても、『二十一世紀のオーディオを展望する』というテーマはないということですか。」 師匠 「ま、そういうことだな。」 弟子 「じゃあ、このコーナーはこれで最終回、番組終了ってわけですか。」 師匠 「そういう話もある。」 弟子 「えっ、じゃあ、私達はお払い箱?」 師匠 「『達』だけ余計かもよ。」 弟子 「が〜ん。」 師匠 「来年のことは忘れて、とにかく二十世紀のオーディオの想い出に浸ろうじゃないか。」 弟子 「私、ちょっと複雑な気分です。」 師匠 「さて、どこからはじめるかな。」 弟子 「あんまり昔のことはわかりませんから、1960年あたりからでどうですか。」 師匠 「だめだめ、スタートは1837年だ。」 弟子 「十九世紀ですよ、師匠。そんな時代に真空管なんてありましたっけ。」 師匠 「ないない。1837年9月4日、アメリカでモースが電信機を発明した。これがスタートだな。」 弟子 「これじゃあ当分日本は出てきませんね。」 師匠 「そんなことないよ。1854年、ペリーはモールス電信機を将軍に献上している。」 弟子 「あれま。」 師匠 「日本で電信が事業化されたのは明治維新直後の1869年だから結構早いね。最初は東京〜横浜間だった。鉄道でもなんでも東京〜横浜間ではじまる国だね、日本は。」 弟子 「ということは、アナログよりもデジタルの方が先だったわけだ。」 師匠 「で、ベルが電話機を発明したのが1876年で、その頃、日本では西郷隆盛が熊本で苦戦していた。実は、1877年には、宮内省で電話機を使っていたんだ。」 弟子 「発明の翌年じゃないですか。」 師匠 「みかけ上は翌年だけど、実際には22ヶ月後のことだった。それにしても早いね。1878年にはエジソンがカーボン式のマイクロフォンを発明しているし、陰極線管も登場している。」 弟子 「着々と道具建てが揃ってゆきますね。」 師匠 「1895年にはマルコーニが無線電信に成功しているし、磁気録音機も発明されている。もっとも、この時代はまだ真空管なんていうものはなくて、無線といっても放電のノイズみたいなのを電波として使っていた。1899年には、ウェスタン・エレクトリックと提携した日本電気(株)が設立されたし、日本で最初のレコード店も開店している。」 弟子 「十九世紀もあなどれませんね。」 師匠 「もしかしたら、意外にエキサイティングだったのは十九世紀かもしれんな。蒸気機関が登場して一気に世界が小さくなった時代だからね。」 弟子 「夢一杯で二十世紀に突入したという感じですね。」 師匠 「僕もそう思う。1903年に浅草で活動写真館オープン。翌年、ヌースパウメルが 無線で音楽と声の伝送に成功だ、わくわくするじゃないか。そして、フレミングの真空管・・2極管ね・・が1904年のことだ。」 弟子 「半導体はいつ登場したんですか。」 師匠 「鉱石の検波作用の発見は1906年のことだ。この年にオーディオン・・3極管だ・・が生まれる。もう、このあたりは発明・発見の連続だな。この頃の日本では、現在のYAMAHA、DENON、沖、SHARP、東芝、松下、三菱、日本無線、AKAIといった企業が創立されている。」 弟子 「NHKはどうなんですか。」 師匠 「愛宕山放送(JOAK)開始は1925年のことだ。この頃にポリドールとかビクターも誕生している。そして、1927年には5極管が発明されるんだ。」 弟子 「二十世紀の最初のクォーターというのはすごい事件ばかりですね。」 師匠 「1929年、つまり世界大恐慌の年にエリミネーター登場だから、これで交流電源式のラジオが定着しはじめる。真空管アンプの原型はこの時点で確立されることになるんだな。」 弟子 「10とか2A3とか300Bなんていうのが現れたのはこの頃なんじゃないですか。」 師匠 「1928〜29年というのがひとつの重要な時期で、250(50)、245(45)、そして欧州のPX4はここで登場している。続く1930年代は真空管の森とでもいうべき時期で、6B5、42、2A3、WE275A、WE300A、6L6、6V6といった重要な球が現れている。300Aから300Bに切り替わったのは1938年だよ。」 弟子 「そしていよいよ戦争に突入してしまうんですね。」 師匠 「いやいや、戦前にはほかにもいくつか重要なエポックがある。」 弟子 「たとえば?」 師匠 「NHK技研は1940年にはFM放送の実験をはじめているし、この年にはテレビが一般に紹介されているんだ。そのきっかけは戦争で中止になった東京オリンピック開催だったというわけ。」 弟子 「そのまま戦争がなかったら、東京オリンピックがテレビで放送されてたんですね。」 師匠 「難しいところだね。戦争という殺し合いはまっぴらだよ。でも、その不幸なできごとは技術を大きく進歩させるという副産物もある。」 弟子 「そういえば、戦後日本の技術の発展も、いつも世界のどこかで戦争が絶えなかったことと無関係とはいえませんものね。」 師匠 「第1次大戦は航空機と戦車が登場した近代戦だったわけだけど、第2次大戦はこれに情報戦が加わった。おかげで、真空管と無線技術が一気に進歩したんだな。」 弟子 「そういえば、今私達が自作で楽しんでいる球の多くは戦時中に作られた軍用球ですね。」 師匠 「その戦時中の国産球の出来はひどかったらしいね。義理の親父が大陸で陸軍通信隊にいたらしいんだけど、機材はすぐ壊れるし、補充が来なくてすることないもんだから、裏庭で野球ばっかりしていたらしい。それから、身近な道具で部品を手作りする技ばっかり達者になっちゃったみたいだ。」 弟子 「どんなものを作るんですか。」 師匠 「木製の糸巻きをナイフで削ってダイアル用のギアを作ったりするの、朝飯前だったらしい。その癖は平成の世になっても衰えてない。ついでの話だけど、親父は海軍だったから、1人洗面器一杯の水だけで洗面、風呂、洗濯、歯磨きまで1日の生活すべてまかなう神技を持ってるよ。」 弟子 「戦争時代を生き抜いてきた人って、すごいですね。」 師匠 「戦争が終わった頃はまだ僕は生まれていないから、その頃の日本の様子はよくわからないけど、すくなくともAM放送が中心で、ちょっとお金持ちのお宅でやっとモノラルでレコードが楽しめたくらいかな。」 弟子 「師匠が生まれたころがどうだったんですか。」 師匠 「僕は1954年の生まれだけど、その頃には真空管式の5球スーパーラジオが普及していたね。とんち教室や怪人二十面相、そして相撲と野球中継が人気番組だった。」 弟子 「レコードはあったんですか。」 師匠 「我が家には大型の電蓄があって、AMラジオとSPプレーヤーがついていた。電気屋の叔父が我が家に泊り込みでやってきて作ってくれたんだ。こないだ久しぶりにその叔父に会えたので尋ねてみたら、42シングルでフィールド型スピーカーを鳴らす設計だったらしい。」 弟子 「ゼンマイ式の蓄音機じゃないんですか。」 師匠 「あははは、もう、そういう時代じゃなくなっていてね。ゼンマイ式の蓄音機はおふくろの実家には戦前からあったみたいだ。兄弟でじゃんけんして、負けた子がゼンマイ巻く係りをやらさらたとか言っていたよ。」 弟子 「1950年代というと、SPとLPの境目ですよね。」 師匠 「SPといえば、フルトヴェングラーのベートーヴェンの交響曲第5番のセットだとかビング・クロスビーのホワイトクリスマスやジングルベルなんていうのがあったなあ。」 弟子 「今あったらいいお宝じゃないですか。」 師匠 「それがね、LPが出た時に『こんなボロいレコードとはおさらば』とか言って、捨てちゃった。」 弟子 「あららら・・・もったいない。」 師匠 「それくらいね、LPステレオの登場は劇的だったんだよ。あまりの音の違いに唖然としたわけだ。音には良い音とそうでない音とがあるんだということをはじめて知ったわけね。」 弟子 「LPとステレオ録音というのは同時だったんですか。」 師匠 「すくなくとも我が家では同時だった。というより、ステレオなしにはLPは存在意義がなかった。LPというのは78回転から33回転にスピードダウンだから、LPは高域に関しては必ずしも有利ではないんだ。だから、初期のLPレコードでモノラルのものもあったけど、音がいいっていう感じはあまりしなかった。」 弟子 「ステレオ方式の魅力を一気に啓蒙したのがLPレコードだったというわけですか。」 師匠 「そういうこと。ところがね、その頃登場したFM放送の方は事情が違ってね。」 弟子 「FM放送はステレオとセットじゃなかったんですか。」 師匠 「FM放送はモノラル放送として登場したんだ。」 弟子 「へえ。それじゃあ、AM放送とあんまりちがわなかったんじゃないですか。」 師匠 「ははは。ところがそうじゃなかったんだ。モノラルといえどもFM放送の出現はショッキングだった。」 弟子 「どういうことですか、それは。」 師匠 「何だと思うね。」 弟子 「う〜ん、もしかして帯域の広さでしょうか。」 師匠 「半分あたりだな。むしろ雑音の少なさと安定した受信特性が大きかったと思うね。」 弟子 「AM放送に比べてですか。」 師匠 「当時のAMラジオときたら、音を聞いているんだかハムやらピーピーいう発振音を聞いているんだかわかんないくらいノイズが大きかった。しかも、近隣する周波数の別の局と混信するわ、音量は一定じゃないわでね。それに比べてFMというのはどの局、といっても当時の東京には2つの局しかなかったけど、を受信しても音量は一定で安定していたし、雑音が信じられないくらい少ない。」 弟子 「ふ〜ん。」 師匠 「しかも、AM方式というのはね、混信を防いでノイズを減らそうとすると周波数特性がどんどん狭くなっちゃってね、高域は5kHzでばっさりカットされてしまったんだよ。」 弟子 「ということは、上等なラジオほど高域が出ないということになりませんか。」 師匠 「そのとおり。5球スーパーラジオは受信状態は比較的安定していて雑音も少ないんだけど音は悪い。ワンランク落ちる高1ラジオは、ピーピーうるさくて受信状態も不安定なんだけど、高域がカットされていないので音楽好きには評判が良かった。」 弟子 「そんなんじゃあ、ステレオじゃなくてもFMの存在価値は大きいですね。」 師匠 「だからね、FM放送のニュースなんか、アナウンサーの声があまりにリアルなのがうれしくってさ、声は聞いていても、ニュースの中身なんか聞いてなかったんだ。」 弟子 「ということは、LPレコードがステレオの素晴らしさを伝えて、FM放送が雑音の少なさや帯域の広さを伝えたということなんですね。」 師匠 「まさにそのとおりだと思うね。人類がようやく、音の臨場感の面白さと高品質な音というものに出会ったわけなんだよ。」 弟子 「その頃はまだ真空管の時代だったんですよね。」 師匠 「ほんのしばらくの間だけね。数年もしないうちに真空管は一気にすたれてしまって、トランジスタの置きかえられてゆくんだ。」 弟子 「SEPP-OTL回路の出現ですね。」 師匠 「当時のSONYは、そのSEPP-OTL回路の寵児みたいなところがあって、トランジスタ・アンプのすぐれたものをどんどん出していったんだ。」 弟子 「その頃のトランジスタの性能はどの程度だったんでしょうか。」 師匠 「オーディオアンプのトランジスタ化に大きな貢献をしたのが、日立製の2SC458LGCという石だね。高周波回路用の2SC458の低雑音版でね、耐圧は30V、hFEは140だから今からみたらいまいちだけど、当時の国産アンプのほとんどがこの石を採用してた。20世紀のオーディオに最も貢献したデバイスを挙げよ、と言われたら迷わずこの2SC458LGCを推薦するね。」 弟子 「そんなに使いやすかったんですか。」 師匠 「実はね、このトランジスタは音がとても良かったんだよ。」 弟子 「もしかして、後の2SC1345とか2SC1775のルーツなんじゃないですか。」 師匠 「あたり。」 弟子 「なるほどね、それだったらわかります。」 師匠 「当時の真空管アンプでは、ボリュームの値も1MΩとか500kΩなんていうのが当たり前でね、回路インピーダンスはかなり高めだったし、高耐圧のフィルムコンデンサなんていうのはなくて、かさばるオイルコンデンサで段間をつないでいた。」 弟子 「もしかして、高域や低域の帯域特性はいまいちだったんじゃないでしょうか。」 師匠 「そうなんだ。だから、トランジスタアンプに簡単にやられちゃった。トランジスタアンプだったら、20Hz〜20kHz-3dBなんてわけなくできたけど、普及型の真空管アンプにはそんな芸はなかったからね。トランジスタアンプによるドンシャリ時代の幕開けだ。」 弟子 「そんな時代があるんですか。」 師匠 「僕が勝手に名前をつけさせてもらった。この頃から、家庭用オーディオもたっぷりと低音や高音が出るようになったもんだから、どの家からも『どんどんシャンシャン』って、ベースやシンバルの音ばかりが強調された音楽が聞かれるようになったんだよ。」 弟子 「変なの。」 師匠 「もうね、みんなうれしくって仕方なかったんだよ。低音や高音がたっぷり出るのがね。」 弟子 「ばかみたい。」 師匠 「それを強調するにはBASSとTREBLEに分かれたトーンコントロールは必須だったんだ。だから、秋葉原のステレオ売り場の店頭に置いてあるアンプを見るとさ、どれもBASSとTREBLEが右に一杯に廻しきってあったもんだよ。そういう時代だったんだ。」 弟子 「それまでのオーディオが、いかに帯域が狭かったのかわかりますね。」 師匠 「でもね、当時のオーディオで言われていたのは、20Hz〜20kHzまで帯域があれば充分だっていう考え方だったんだ。」 弟子 「今とはずいぶん違いますね。」 師匠 「そうだね。でも、20Hz以下は聞こえない(はずだ)からいらない、という迷信から抜け出すのに何十年もかかっちゃったような気がする。」 弟子 「現在の多くの真空管アンプが、10Hzあたりまでなんとか伝達できるっていうのは、当時の常識からみたら画期的な変化じゃないですか。」 師匠 「だから、二十世紀のちょうど真ん中で、ステレオ方式が登場して、帯域や雑音性能が一気に改善されたという事件は、オーディオの世界ではもっとも大きな事件だったと思う。」 弟子 「その前と後とでは世界が全然違いますね。」 師匠 「家庭用の4チャネル・ステレオは不発弾だったけど、二十世紀のもうひとつの大事件はデジタル化ってことかな。」 弟子 「デジタル化はオーディオの世界に限った話じゃないですよね。」 師匠 「そうだよ。オーディオのルーツが電話事業のあったことを思い出してごらん。デジタル化だっておんなじだ。我々の知らないところで電話はさっさとデジタル化を終えてしまったじゃないか。」 弟子 「FAX通信もコンピュータもデジタル技術がなかったら実現できなかったですね。」 師匠 「ということは、二十一世紀はデジタルの世紀で、二十世紀はアナログの世紀ってことになるな。」 弟子 「う〜ん。美しきアナログの世紀も今日でおしまいってことですか。」 師匠 「そういうことだな。泣いても笑っても今日限りだ。」 弟子 「それは寂しいですね。」 師匠 「産業技術の変化は容赦ないからね。」 弟子 「じゃあ、明日からは・・。」 師匠 「デジタルを語りたいかい。」 弟子 「私はこのままずっと美しきアナログの世界に生きつづけていたいです。」 師匠 「そうだろ。できればこのままさよならしたくないだろ。二十一世紀には来てもらいたくないだろ。」 弟子 「賛成です。」 師匠 「ということは『二十世紀のオーディオを総括する』というテーマは存在しても、『二十一世紀のオーディオを展望する』というテーマはないということだな。」 弟子 「・・・。」 師匠 「そういうことなので、みなさん、さようなら。」
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