インターネット・トラブルシューティング
2004.5.18
弟子 「トラブルシューティングのネタははじめてですね。」 師匠 「掲示板みてるとさ、数日に1件くらいのペースでトラブルの質問の書き込みがあるよね。」 弟子 「便利な時代になったもんですね。消費者金融から真空管アンプまで、ネットでなんでも質問できちゃう。」 師匠 「でもさ、いつも、問題解決に手間取るんだよな。」 弟子 「そりゃあ、自力では簡単に解決できないトラブルだから聞いてくるわけでしょう?」 師匠 「ほとんどの場合、わかってみれば『なぁんだ、そんなことだったのね』っていうようなものばっかりだよ。」 弟子 「でも、いつもてこずりますよね。」 師匠 「自作のベテランがよってたかって考えても、てこずるんだよなあ。」 弟子 「コミュニケーション能力の問題でしょうかね。」 師匠 「そう、そのことを考えていたところなんだ。」 弟子 「でも、ひとりで考えても解決できなかった問題が、掲示板を使うことでとにかく解決できたりするんだから、これはこれで十分機能していると思います。」 師匠 「インターネットの掲示板は、グループウェアの会議室とほぼ同等の機能を果たせるから、問題解決には向いているね。だからこそ、同時に複数の人が自由に書き込むというルールが普及したわけだけど。」 弟子 「確かに、1対1でやっていたのでは不特定多数の知恵を活用し、共有することはできませんね。」 師匠 「さっきコミュニケーション能力の問題って言ってたろ?そこがさ、ボトルネックになっているような気がするんだ。」 弟子 「情報の伝達能力ってことでしょうか。」 師匠 「たとえばね、『ハムが出るんですが、どうしたらいいでしょうか。』っていう質問があったとしようか。君だったらどう回答するかい?」 弟子 「・・・んんん、これは難しいですね。」 師匠 「だろ?すごく難しい。」 弟子 「答えようがないですね。」 師匠 「でも、書いた本人は、誰かが答えをくれるのではないかって思って書いているんだと思うよ。」 弟子 「自分がおかれた状況を、インターネットごしに見ているベテラン達が理解して何かいいアドバイスをくれるのではないか、と思っているんでしょうか。でも、これだけの情報では答えようがないから、話が先に進まないですね。」 師匠 「ところが、こんなもんでも次から次へと意見が飛び出して、話がどんどん進んでしまうこともある。」 弟子 「手当たり次第、ってやつですね。」 師匠 「でもさ、ベテランであればあるほど、いろんなケースを想定できてしまうから書きようがないね。」 弟子 「わかった。ベテランから的確なアドバイスをもらいたかったら、もっと状況がわかるような整理された情報を提供しろ、ってことですね。」 師匠 「いくら名医だからといって、とにかく頭痛がするから直してくれ、って言ってもねえ。」 弟子 「でも、頭痛だったとりあえず鎮痛剤出せば一応効きますよ。でも、鎮ハム剤っていうのはありません。」 師匠 「鎮ハム剤ってのがあったら、俺も買うよ。中途半端な情報でも、いろんな人が自分の経験からアドバイスをくれると思うんだけどさ、それが的確かどうかは怪しいもんなあ。」 弟子 「まあね、人が抱えているトラブルをネタに、掲示板の常連達で勝手に盛り上がるっていうのもありますけどね。」 師匠 「掲示板を見ているとね、両方に問題を感じるね。」 弟子 「両方って、聞いた側と、答える側ですか。」 師匠 「うん。聞く側はさ、自分がおかれた状況を相手もわかっているもんだと決めてかかっているふしがあるね。」 弟子 「一般論で聞いてくる人もいますよ。ハムが出る原因を(すべて)教えろ、って。」 師匠 「あははは。で、それを教えようとする奴がいたりする。」 弟子 「聞く側も答える側も、自分の立場でしかものごとを見てないですね。」 師匠 「状況をコンパクトに整理して伝えようとしない奴、状況が見えないのに思いつくままにあてずっぽうのアドバイスをする奴。恋愛問題の相談だったらそれでもいいけどさ、電子回路はちょっと違うと思うんだよね。」 弟子 「聞き方の要領が悪いのでてっきり初心者だと思って(偉そうに)懇切丁寧に教えてあげたら、聞いて来た方が遥かに経験豊かで大恥かいた、なんていうこともありますね。」 師匠 「質問に答えることよりも、自分が言いたいことを滔々と書くのに熱心な人もいますね。」 弟子 「自分がした質問のことを忘れて、脱線した話題に巻き込まれてしまう人もね。」 師匠 「どっちもどっちだなあ。」 弟子 「なんで、うまくコミュニケーションできないんでしょう?」 師匠 「コンテキストの問題じゃないかね。」 弟子 「コンテキストって、なんですか。」 師匠 「ううむ、説明が難しいな。ええと・・・たとえばさ、ずっと一緒に生活していて、同じようなものの考え方、経験を持った人たちで形成されている集団のことを高コンテキスト文化というんだ。」 弟子 「じゃあ、その反対は低コンテキスト文化ですか。」 師匠 「そういうこと。ものの考え方や育った文化的背景、価値観、用語などが異なる人たちによって形成されている集団は、低コンテキスト文化という。」 弟子 「一般論ですけど、日本とか韓国は高コンテキスト文化で、アメリカなんかは低コンテキスト文化ということになるんでしょうか。」 師匠 「飲み込みがはやいね。」 弟子 「インターネットの掲示板はどうなんでしょう。」 師匠 「常連同士であれば、お互いのものの考え方や経験の度合いの違いがわかってるし、いつも話題を共有しているから多くを語らなくても会話が成り立ってしまうね。だから高コンテキスト文化を形成している。」 弟子 「でも、はじめて質問してきた人は別ですよね。だから、一旦低コンテキスト状態になるじゃありませんか。」 師匠 「プロジェクト・マネジメントでは、常に低コンテキスト状態であることを前提でコミュニケーションする、というのは基本中の基本なんだけどさ、これが日本人には結構難しいらしいね。」 弟子 「問題解決をうまくやるには、低コンテキスト文化対応型のコミュニケーションの方がいいように思います。」 師匠 「そういうことだね。相手は自分があたりまえにわかっていることを知らないでいる、自分が言っていることの前提になっている条件は相手には通用しない、ってことだ。」 弟子 「でも、すべてをいちいち言葉で表現するのは大変です。」 師匠 「共通言語を使えばいいんだよ。」 弟子 「共通言語って?」 師匠 「回路図。」 弟子 「そうかぁ。」 師匠 「測定データ。」 弟子 「なるほどね。」 師匠 「作業手順。」 弟子 「よく考えたら、回路図なしで質問する人って、ものすごく多いですね。」 師匠 「問題の絞込み具合によっては必ずしも回路図は必要ないと思うけど、どんな構成のアンプかもさっぱりわからないのに『ハムが出ました』はないよねえ。」 弟子 「でも師匠、質問している人は、そこまでものごとを整理できているんでしょうか。整理できていないから、トラブルが解決できないでいると思うんですけど。」 師匠 「それは一理ある。経験が浅い初心者だって、ものごとを整理して考えることができるならかなりの問題解決能力があるはずだ。」 弟子 「あのう、問題解決には経験って、必要なんでしょうか。」 師匠 「いいこと言うね。」 弟子 「問題解決には経験は重要ではないとすると、どう考えたらいいんでしょう。」 師匠 「全く未知の分野を研究する場合を考えてごらん。既存の知識が通用しない分野でも、立派に問題を見つけ、解決できる人たちはいるんだ。」 弟子 「でも、それはちょっと贅沢な望みですね。」 師匠 「あははは、全くだ。我々、凡人について考えてみることにしようか。」 弟子 「まず、聞き手についてなんですけど、どんなアンプ、どんな回路で、どんなことをしたら、どんな現象が生じたか。どんな調査をやってみたか、について簡単でいいですから情報を出してほしいですね。」 師匠 「うん。でないと、聞かれた方は想像力たくましくして、それがどんなアンプで、どんなことになっているのかデッチあげなきゃならんもんね。」 弟子 「で、聞かれた方は、問題全体の状況を把握しないうちに、あてずっぽうで答えてしまうと、相手を混乱させてしまいますよね。」 師匠 「そーゆーこっちゃ。ほとんどの場合、問題箇所は1箇所だけのことが多い。だから、答えは1つでいい。」 弟子 「これではないか、あれではないか、っていくつもケースを挙げるのは問題の絞り込みが甘いってことですね。」 師匠 「現実のトラブル・シューティングはそんなに簡単でもなければ、スマートでもないけれど、目指すものは是非そうありたいと思うね。」
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