本音爆裂・神経逆撫

師匠と弟子のいいたい放題-26



このページはちょっと真面目な話題を取り上げています。

「うつ病」は死に至るので社会的に問題として取り上げられていますが「躁病」は軽視されているように思います。ご本人は元気で快調ですべてうまくいっていると思ってしまうところに、この病気の難しさがあります。しかし、死に至らなくてもご本人が気づかぬうちに、ご自身の人生を「自分のものでないもの」にしてしまうだけでなく、ご家族や周囲の友人に大きな迷惑をかけてしまうのが躁病の厄介なところです。特に、家族に躁病患者がいる場合、ご本人ではなくご家族が精神的に参ってしまい正常な生活が送れなくなったり、疲弊して人生を潰してしまうのです。ですから、躁病の治療以前に、周囲の人は自分を守ることを心がけなければなりません。

多くの躁病患者は、周囲から「悪い人ではないんだけどとてもはた迷惑で困った人」というふうに認識されているだけで、病気だとも思われていないし、治療も受けていないのが現実です。本人は精神的にきわめて健康だと思っていますから、周囲が気づいてもご本人に治療を受けさせることがほとんど不可能という事情もあります。

躁病の方はインターネット掲示板で特徴的な行動をしますので容易に見分けがつきます。その様子について以下の会話を通じて説明したいと思います。軽度の躁病であれば自分で気づくことができるそうです。これをお読みになってご自身あるいはご家族に思い当たるふしがありましたら、確信していただいていいと思います。

Wikiの解説は不親切・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BA%81%E7%97%85
躁病に関してはこのサイトがわかりやすいです・・・http://homepage3.nifty.com/kazano/mania.html



ネット躁
2006.9.1

弟子 「今年の夏の暑さもひと段落した感じですね。」
師匠 「聞こえてくる音が蝉から秋の虫に変わったものな。」
弟子 「蒸し暑いのは憂鬱だし、半田ごて握る気も起きないし、音楽聴く気力もなかったです。」
師匠 「最近は心の病とかいって、職場のうつ(鬱)が社会問題になっているね。」
弟子 「あれって、本当のところどうなんですか。マスコミが騒いでいるだけとか。」
師匠 「僕のところでは職業柄職場における心の病も扱うようになったんだけど、現実はかなり深刻だよ。セミナー開くとあっという間に満員締め切りになっちゃう。」
弟子 「へえー、そうなんだ。」
師匠 「数十人に1人くらいの割りで発症があって、数人に1人は予備軍がいる。だから、20人の部下を持つマネージャは、1人の発症者と数人の予備軍を抱えている計算になる。」
弟子 「それはえらいことですね。」
師匠 「しかも、セミナーにやってくるマネージャのうち10人に1人くらいの割で本人が予備軍になっている。」
弟子 「心の病って、躁鬱病のことですか。」
師匠 「正確なところは専門家に聞いて欲しいけど、鬱病と躁鬱病は別ものらしい。心の病は鬱病をさしている。」
弟子 「心の病にも『躁』があればまだいいのにね。」
師匠 「これこれ、『躁』は『躁』で非常に厄介なんだよ。」
弟子 「どんな症状が出るんでしょう。」
師匠 「とにかくやる気がある。精力的だ。」
弟子 「いいじゃないですか。」
師匠 「ホームページを作ってみずから情報発信しようなんている行動は、そもそも『躁』の要素を持っているわけだ。」
弟子 「師匠なんか、すごく危ないじゃないですか。」
師匠 「ま、そういうことだ。ところが、基本的に機嫌はいいんだが、些細なことで怒り出す。」
弟子 「ほんとうに機嫌がいいわけではないということでしょうか。」
師匠 「機嫌がいいのも症状のうちだからね。」
弟子 「どんな風に怒るんですか。」
師匠 「相手の態度が気に食わないとか、挨拶がないとかね、そんなことで人間失格みたいなレッテルを貼ったり出入り禁止にしたりするから判断は簡単だよ。」
弟子 「なんか、身勝手ですね。」
師匠 「そう、身勝手に見える。しかも、注意散漫だ。だから勘違いも多い。」
弟子 「たちの悪いおっちょこちょいってわけですか。」
師匠 「おっちょこちょいならまだかわいいし本人も気づくけれど、知識の領域で間違ったことを言いだしても本人は正しいと思っているからこれは厄介だ。」
弟子 「その人と議論したら正しい知識の人の方がやりこめられてしまうとか。」
師匠 「そうなんだ、インターネットの掲示板ではこれが特に問題になる。」
弟子 「でも、多くの他の人たちも違うって気づいていますよね。」
師匠 「1対1だったら、躁病側が最終的に勝利宣言することになる。」
弟子 「というか、相手があきれて出て行ってしなうんじゃないでしょうか。」
師匠 「1対多数でも、躁病側が周囲を蹴散らして最終的に勝利宣言するんだ。」
弟子 「そういう場面、よくありますよね。」
師匠 「それから、往々にして権威的になりやすい。」
弟子 「自分は偉い、この分野での権威者である、という風な振る舞いをするということでしょうか。」
師匠 「だから、自分の考えに逆らう人、楯突く人を排除しようとする。」
弟子 「なんか、元気のいい石頭の老人という感じですね。」
師匠 「そのとおり、だから60歳以上の人の『躁』は症状が重い。」
弟子 「というより、60歳・・・かどうかは別として・・・元気のいい高齢者はみんな『躁』なんじゃないでしょうか。」
師匠 「それは当たっている。僕の知り合いにもすごーく元気が良くて、人見知りしなくて、世話好きなご老人がいるんだけど、医者に行ったら『躁』だと診断されたそうだよ。」
弟子 「へー、そうなんだ。」
師匠 「それからストレス状態になると大概『多弁』になるね。」
弟子 「うるさいですね。」
師匠 「掲示板なんかに読みたくなくなるくらいずらずらと書く人は要注意だね。誰もコメントをつけてないのに何度も書き込む人も危ない。」
弟子 「相手が聞いている、聞いていないに関係なく発信するということでしょうか。」
師匠 「誰かが質問すると、『僕は良く知っているから教えてあげたい!』という勢いでたくさん書き込むからすぐにわかる。」
弟子 「教条的になってるかもしれませんね。」
師匠 「大概、その書き込みには間違いも多いんだけど、それを指摘すると逆上するから要注意だ。」
弟子 「ああ、そういう場面てよく見るなあ。」
師匠 「総じて『自己主張』が強くなり、それが形を変えて出てくるんだね。」
弟子 「でも、それは症状のひとつなんでしょう?」
師匠 「『周囲が見えていない』で『自己主張』が強くなるから、そりゃあうるさいね。」
弟子 「そういう人には何を言っても駄目なんじゃないでしょうか。」
師匠 「そのとおり。人が言うことは耳にはいらない。」
弟子 「『自分のことは棚上げ』して、人のことにちょっかいを出したがるわけですね。」
師匠 「というよりも周囲のことは眼中にない。」
弟子 「ちょっかい出すのも、自己主張のための道具ってわけですか。」
師匠 「目的は自分が一番だと言われるためだったり、『おそれいりました』と言われるためだから、そのシナリオにならなくなると暴れだす。」
弟子 「そういう人、結構いますよ。」
師匠 「『自説を曲げることは決してしない』から、議論をはじめるといつまでも終わらないんだ。しかも、本人は自分は議論が上手だと思い込んでいたりする。」
弟子 「でも、付き合いきれないから無視されたりしませんか。」
師匠 「無視されるさ。本人は自分のせいだとは思っていないから、卑怯だとか、負けを認めたとか、都合がいいように結論づけてしまうね。それが周囲には『挑発』している風に見えることもある。」
弟子 「ほかにはどんな行動が目立ちますか。」
師匠 「周囲が見えていないから、『自己中心的』に見える。時として『非常識な行動』をとってしまう。」
弟子 「本人は非常識とは思っていないんですね。」
師匠 「その非常識な行動を指摘されても、本人は全くまずいと思っていないどころか『反撃』してくるんだ。」
弟子 「どんな風にですか。」
師匠 「基本的にオーバーアクションなんだな。そんでもって、普通はいつまでも粘着してくる。」
弟子 「被害妄想っぽいですね。」
師匠 「被害妄想というよりは『誇大妄想』になるから、ネットならば送られてくるメールすべてが特定個人の悪意にもとづくものだと信じてしまったりする。」
弟子 「ネットの粘着系の人は基本的に『躁』っぽいですね。」
師匠 「書き込みに周期性があったらほぼ確実といっていいんじゃないかな。真面目なはなし、これは立派な病気であり、本人に悪意はないし、その人の個性ともいえない。」
弟子 「難しいですね。」
師匠 「いずれにしても、『躁』の状態では人と接触するたびに問題を起こすことは間違いない。舌禍=躁とみていいと思う。」
弟子 「悪い人ではないのに時々困ったことになるんですね。」
師匠 「もう少し付け加えておくと、『自分の考えが正しい』、『一番である』、という態度をとりがちである。」
弟子 「でも、周囲は認めませんよね。」
師匠 「だから、悪意はなくても策を弄したりする。ネットでいうと自作自演をしたり、屁理屈をこねはじめることすら起る。いずれにしても、決して『自説を曲げることはしない』。」
弟子 「愚かしいですね。」
師匠 「これこれ、これは症状なんだから、愚かかどうかという問題ではないんだよ。症状だからこそ滑稽な行動ができてるわけで、しらふじゃできないでしょう。」
弟子 「○○にはつける薬はない、とか言いますけど、『躁』が病気のひとつであるなら効く薬ってあるんでしょうか。」
師匠 「ちゃーんとあるんだよ。医者に行けばいいを薬くれるよ。」
弟子 「効くんですかね。」
師匠 「僕の知り合いを見舞った時、彼は信じられないくらい感じのいい人だったね。」
弟子 「薬が効いてたんですね。」
師匠 「医者に聞いたら、ちょっと多く投与しすぎたとか言っていた。ほんとうはもうすこし嫌な方です、とか妙な話になっていたよ。」
弟子 「師匠が『躁』になったらどうされますか。」
師匠 「自分ではなかなか気づかないから、是非教えて欲しいね。」
弟子 「自己診断とかできませんかね。」
師匠 「ネットの掲示板で、『精力的に何十行も書き込む』傾向のある人は、よく観察しているとほかにも『躁』的症状はたくさんみつかるよ。」
弟子 「そういう人は少なくないですよ。」
師匠 「『躁』は珍しくなんかないよ。あとは、なにかにつけて『・・・べきである』を連発するのも特徴的かな。」
弟子 「『300Bをそういう使い方をすべきじゃない』とか『あなたは謝るべきだ』みたいなことですね。」
師匠 「そんなの余計なお世話だよね。一人前の大人に向かって言う科白じゃないよなあ。」
弟子 「そういえば、『べきだ』を言う人はなにかと連発しますね。」
師匠 「『べきだ』という言い方は心配りのある常識人の場合、滅多に口にしない言葉だと思うんだけどどうなんだろう。非常に使い方が難しい言葉じゃないかな。」
弟子 「相手に不快感を与えやすい言葉ですね。」
師匠 「ま、そういう時のために『余計なお世話だ』という便利な決まり文句ってのがあるわけだよ。」
弟子 「ところで、師匠がそうなったら、すぐに指摘してさしあげましょう。」
師匠 「これは薬で治療できるから、世間から見放されて孤立してしまう前によろしく頼むよ。」


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