夢のリスニングルーム
1999.8.3
弟子 「師匠、いつも不思議に思うんですけど、」 師匠 「何だい。」 弟子 「あのう、無線と実験なんかに出てくる『私のリスニングルーム』関係の紹介記事ってあるじゃないですか。」 師匠 「うんうん。」 弟子 「あれって、どうしてみんな同じような部屋の雰囲気なんですか?」 師匠 「どういうことだい。」 弟子 「たいてい窓のない四角い部屋に、スピーカが偉そうにデ〜ンと座っているじゃないですか。」 師匠 「それで?」 弟子 「それでもって、ラックの上には高そうなアンプやらなんやらいろんな機材が、高そうなインシュレータを履いてお座りしたりして、」 師匠 「ふむふむ。」 弟子 「部屋の中央にはご主人様のお椅子でござ〜い、ってな風のものがあったりして。」 師匠 「はっはっは、何が言いたいのかね。」 弟子 「なんだか変だな〜って思うんですよ。」 師匠 「なんだ、そんなことか。じゃあ、ひとつずつ説明してあげよう。」 弟子 「・・・。」 師匠 「まず、なぜ、窓のない四角い部屋であるかだ。それは、窓のある明るくて素敵な部屋はだな、奥さんや子供たちに取られちゃったんだな。」 弟子 「はあ。」 師匠 「奥さんに、『デカイ音を出すと近所(だけじゃなくて家族も)迷惑だから、窓は駄目っ』て釘を刺されている可能性もあるな。」 弟子 「ふ〜ん。」 師匠 「つまり、家族もあまりやって来ない、家の隅に追いやられた孤独な部屋ってわけだな。」 弟子 「ずいぶん暗いですね。」 師匠 「そりゃそうだよ。オジサンが部屋の中央にひとりぼっちで座り込んで、スピーカと対面して黙って音楽を聞くなんて、実に暗いじゃないか。」 弟子 「奥さんも一緒に聞けばいいのに。」 師匠 「おいおい、旦那と奥さんが二人そろって、腕組みして、目なんか閉じたりして、頭ふりながら音楽聞いてたらもっと暗いぜ。」 弟子 「ははは、それもそうですね。」 師匠 「オペラ劇場にしたって、オヤジひとりで来るなんて、どうかしてると思うよ。ひとりで来るのは評論家だけでたくさんだ。」 弟子 「でも、真剣に音楽を聞こうとするならば、女性同伴なんて不謹慎じゃないですか。」 師匠 「何いってるのさ。オペラなんて、そもそも不謹慎な産物じゃないかい。だから楽しいってのに。」 弟子 「師匠と話してると、私の価値観がゆらいできそうです。」 師匠 「オペラに一緒に行くパートナーの二人や三人確保できないようでは、オペラを楽しむ資格はないと思ったほうがいいよ。」 弟子 「そんな無茶な。」 師匠 「無茶じゃないよ、その程度くらいには人間ができていてくれないと、劇場やら他のお客様が迷惑する。」 弟子 「あのう、師匠、話が脱線してるんですけど。」 師匠 「脱線ついでに言っておくと、ちゃんとしたレストランには、男だけで行ってはいかんよ。」 弟子 「じゃあ、どうしたらいいんですか。」 師匠 「そんなこと、自分で考えんかい。」 弟子 「あのう、話題をリスニングルームに戻しませんか。」 師匠 「すまんすまん。」 弟子 「ああいうリスニングルームが雑誌で紹介されるのは、やっぱり、ああいうのが夢のリスニングルームなんだからでしょう?」 師匠 「出版社の思い込みかも知れないよ。」 弟子 「じゃあ、師匠はどうなんですか。」 師匠 「わかっているだろう。駄目に決まっているじゃないか。音楽をあんな風に聞くなんて嫌だよ。」 弟子 「でも、師匠のお宅のは、どうみてもリスニングルームとはいえないような。」 師匠 「だって、我が家にはリスニングルームなんてないもん。」 弟子 「じゃあ、あの部屋は何なんですか。」 師匠 「何なんだろうねえ、あの部屋は。」 弟子 「普通、リスニングルームっていうと、行き着くところは雑誌記事のような風にならざるを得ないんでしょうかねえ。」 師匠 「たぶん、理由は三つあるね。一つは、夢のリスニングルームというのは、みんなもそうしていることだし、ああいうもんなんだ、という刷り込みがあるんじゃないかな。」 弟子 「雑誌による学習効果ですね。」 師匠 「もう一つは、オーディオと音楽の趣味は意外に孤独だってことだよ。」 弟子 「だから、僕にはオペラに一緒に行くお友達がいないのかぁ。」 師匠 「もしね、奥さんや子供がリスニングルームに居着いたら、あんな殺伐とした雰囲気じゃなくて、もっと居心地の良い部屋になっているはずだよ。」 弟子 「そうですね、あんな機材むき出しになんかしないでしょうね。で、三つめは何ですか。」 師匠 「それはね『見せたがりの心理』だよ。『どうだぁ、俺のアンプは1kW出るんだぞー、スピーカなんかこれでベンツ1台買えるんだぞ〜。オラオラ、見ろや〜。なんだ、お前んとこは左右セットで軽自動車かい、そんな安物じゃ耳が腐るぜ』ってね。」 弟子 「ははは、きっとそれが一番かも。」 師匠 「なかには、相手が自分よりも安いスピーカを使っているとわかると、相手の言うことを聞かない奴もいるからね。」 弟子 「いますね、そういうオヤジって。」 師匠 「『Have』にはまった奴はね、『Do』だとか『Be』を見失うんだな。」 弟子 「おっしゃってることがよくわかりません。」 師匠 「つまり、持つことに意味を感じている奴は、持っていることを訴えるために矢鱈と飾り立てたがるということさ。」 弟子 「それで、自慢たらたらやるわけですね。」 師匠 「オーディオの世界は、自慢たらたらの巣窟だからね。」 弟子 「そういえば、自慢たらたらやってる奴って、いつも孤独ですね。」 師匠 「そういう奴をどんどんおだててやるとね、ずるずるはまって行くから面白いよ。」 弟子 「意地が悪いですね、師匠。」 師匠 「寂しい人の心の隙間を埋めてあげなくっちゃあ。」 弟子 「そういうことをテーマにした漫画がありますね。」 師匠 「いい歳こいて子供をやっているか、ちゃんと大人になれているかってことかな、問題は。」 弟子 「師匠のいう大人って、何ですか。」 師匠 「オーディオだけが人生じゃない、ということだよ。炊事、洗濯、掃除、家のメンテナンス、ガーデニング、リゾート・・・いろいろあるじゃないか。一日中部屋に閉じこもってオーディオいじりなんかやっていたら、一体いつ、そういう生活の基盤を作ったり、維持管理するんだい?」 弟子 「はあ。」 師匠 「そんなこともちゃんとやらないで、オーディオも音楽もあるもんかね。これをちゃんとやっていたら、オーディオなんかに割ける時間もお金も、ほんのわずかになると思うよ。そもそも、趣味とは生活の延長上にあるものなんだよ。」 弟子 「僕は、趣味と生活とは別物だと思ってました。」 師匠 「そういう考えの旦那を持った奥さんはかわいそうだよ。旦那さんがオーディオいじりをしている時に、奥さんはひとりで炊事、洗濯、掃除をすることになるだろうね。」 弟子 「そうかぁ。だから奥さんは旦那さんと一緒に音楽を楽しむことがなかったりするんですね。」 師匠 「全体のバランスをとって行くとね、オーディオだってもっと生活に接近してくるもんなんだよ。」 弟子 「それを調べる手だてはあるんですか。」 師匠 「だからね、リスニングルームからね、オーディオ機材を運び出したら、そこに一体何が残るかでわかるんじゃないか。」 弟子 「何も残らなかったら?」 師匠 「それだけの人生だった、ということかも知れないな。」 弟子 「なんか、師匠に丸め込まれているような気がするんだなあ。」 師匠 「何をごちゃごちゃ言っているんだい。生活のデザインができないオーディオおたくはねえ、オーディオ一色のおもちゃ箱の部屋に閉じこもっていればよろしい。」 弟子 「いつもながら、師匠はおっしゃることがキツイですね。」 師匠 「まともなことを言ってるつもりなんだがなあ。」 弟子 「世間一般のオーディオの趣味からみたら、やっぱり、師匠はかなり浮いていると思います。」 師匠 「僕はね、趣味も、生活も、専門技術も、ひとつのジャンルの世界の中だけでは成り立たないと思うんだよ。」 弟子 「オーディオやるのに、ワインのたしなみやインテリアの知識もいるってことですか。」 師匠 「そのとおり!」 弟子 「ほへっ。」 師匠 「ベートーベンはね、トカイという貴腐ワインには目がなかったというじゃないか。」 弟子 「甘党だったんですね。」 師匠 「ウィーンの楽友協会ホールがね、音響はいいけど、つくりがコンクリートの打ちっぱなしだったら、わざわざ聞きに行こうって思うかい。声さえ良ければ、オペラの舞台衣装はトレーナーのままでいいかい。」 弟子 「日本はまだ、それに近いところがあると思いますけど。」 師匠 「そうだろ?」 弟子 「文化がまだまだ貧しいんですね。」 師匠 「オーディオ機器を並べて喜んでいるような場合ではないんじゃないか、と思うんだよ。『物』は豊かになったけれど、『生活のスタイル』はまだまだ貧しい。」 弟子 「物では解決できないってことですか。」 師匠 「というより、食事のメニューは立派になったけど、食器や家具や食卓の話題はまだまだ安物だってことかな。ましてや、常に清潔なリネン類をストックしたり、快適な部屋のメンテナンスまではとても目が届いていない。」 弟子 「しけた四畳半で、銀座レカンのディナーメニューをいただくようなもんでしょうか。」 師匠 「悪いとは言わんけどね。それよか、清潔でサーヴィスの良い根岸の香味屋で、例のメンチカツを食った方がはるかに贅沢だね。」 弟子 「私もそれには賛成です。」 師匠 「じゃ、店が混まないうちに出かけるか。」
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