差動プッシュプル・アンプの音を聞きたい、だけどもう1台作るのは面倒だ、という方も多いと思います。手持ちのプッシュプル・アンプをなんとか差動化できないものかとよく相談されます。ごく一般的なプッシュプル・アンプと、差動プッシュプル・アンプとは、みかけは同じように見えても、動作の基本は大きく異なります。従って、かたいことを言い出すとすべて一から設計し直しになります。しかし、ここではそういう難しいことは言わないで、できる限りお手軽にお手持ちのプッシュプル・アンプを差動化するための方法を考えてみたいと思います。
■A級とAB級の違い
差動化を行うにあたっては、通常のプッシュプル回路の動作条件と差動プッシュプル回路における動作条件の違いについて理解しておくことが必要です。このことを説明する前に、まず、シングル出力回路とプッシュプル出力回路の違いについて触れておくことにします。下の表はRCAが発表した2A3のシングルおよびプッシュプルの代表的動作条件です。
2A3 A級
シングルAB級PP プレート電圧(Ep) 250V 300V プレート電流(Ip) 60mA 40mA×2〜73.5mA×2 バイアス(bias) -45V -62V 負荷インピーダンス(RL) 2.5kΩ 3kΩ(P-P間) 出力(Po) 3.5W 15W コメント 発表データ 発表データ シングル動作ではA級しかありませんが、プッシュプルではA級のほかにAB級、B級などがあります。A級動作では、無信号時にも多くのプレート電流を流さなければなりませんから、出力管のプレート損失の最大定格(2A3の場合は15W)の制約上、あまりプレート電圧を高くすることができません。A級動作のままプッシュプル化してもその制約は変ることはなく、A級プッシュプルで得られる最大出力は、A級シングルの2倍+αというところです。
ところが、AB級プッシュプルとなると事情が一変します。AB級プッシュプルでは、無信号時のプレート電流を少なく設定できるためにプレート電圧を高くすることができます。AB級プッシュプル動作というのは、電源電圧さえ高くしておけば、音がないときの消費電流が少なくても、音がはいった時にだけガバッと電流を流すことで大出力が得られるまことに効率の良い方式なのです。
A級とAB級のもうひとつの違いは出力と出力管の消費電力の関係です。A級では、無信号時に出力管の消費電力が最大になり、音が出ている時の消費電力の方が少なくなります。2A3の場合、A級シングルの出力管の消費電力は250V×60mA=15Wですが、最大出力時にはスピーカーに3.5Wの電力を送り込んでいますから、15W−3.5W=11.5Wが出力管で熱になるわけです(正確には最大出力時のプレート電流は若干増加するので11.5Wよりもやや多くなります)。AB級では、無信号時に出力管の消費電力が最小になり、最大出力よりもやや少ないポイントで最大になります。ですから、A級動作では「無信号時の消費電力=出力管の最大定格」でも問題ありませんが、AB級では「無信号時の消費電力=出力管の最大定格よりもかなり少なめ」としなければなりません。
真空管アンプの設計では、従来、できるだけ効率良く大出力を取り出すことに主眼が置かれてきました。メーカー製のプッシュプル・アンプだけでなく、自作のプッシュプル・アンプのほとんどはAB級動作を選択しています。下の表は、LUX製SQ-38FDに使われた50A10(6CA10)のデータです。AB級プッシュプルでは、非常に高いプレート電圧を与えることで30W以上ものパワーを絞り出しています。AB級プッシュプルでは、得られる出力を最大化するには、(1)プレート電圧を高くする、(2)負荷インピーダンスを低くする、という設計を行います。これが、世の真空管式プッシュプル・アンプの一般的傾向ですが、差動PPはA級動作しかありえませんので、(1)(2)のように設計されたアンプをベースに改造するとなるとさまざまな壁にぶつかります。
6CA10/50CA10 A級シングル AB級プッシュプル プレート電圧(Ep) 250V 400V プレート電流(Ip) 80mA〜95mA 50mA×2〜90mA×2 バイアス(bias) -22V -43V 負荷インピーダンス(RL) 1.5kΩ 5kΩ(P-P間) 出力(Po) 6W 34W
■2A3 AB級プッシュプルの差動化
2A3を場合を例に検討してみます。なお、以下の表中の文字色とグラフ中のロードラインの色を合わせてあります。
2A3 A級
シングルAB級PP 差動PP(改造案1)
単純移行差動PP(改造案2)
Ipを増やす差動PP
本来の動作電源電圧(Eb) 約260V 約310V 約310V 約310V 約305V プレート電圧(Ep) 250V 300V 300V→251V 300V→253V 250V プレート電流(Ip) 60mA 40mA×2〜73.5mA×2 40mA×2 50mA×2 60mA×2 バイアス(bias) -45V
(固定バイアス)-62V
(固定バイアス)-49V
(定電流バイアス)-47V
(定電流バイアス)-45V
(定電流バイアス)負荷インピーダンス(RL) 2.5kΩ 3kΩ(P-P間) 3kΩ(P-P間) 3kΩ(P-P間)
5kΩ(P-P間)*
6kΩ(P-P間)**5kΩ(P-P間) 出力(Po) 3.5W 15W 約2.4W 約3.75W
約6.25W*
約7.5W**約8W コメント 発表データ 発表データ 単純移行 Ipを増やす
負荷インピーダンスを高くするシングル動作条件で
差動PP(改造案1)・・・単純移行
2A3のAB級プッシュプル回路をそのままほとんどいじらずに差動化(単純移行)することを考えます。なお、元になるAB級プッシュプル回路は固定バイアスであるものとして話を進めます。
まず、アースされた2管のフィラメントの中点をつなぎ、アースとの間に定電流回路を挿入します。単純移行ですので、定電流特性は元の回路と同じ40mA×2=80mAとします。固定バイアスの時は、実質プレート電圧は300Vあったわけですが、定電流回路が割り込んだために、カソードバイアスのようなことになり、定電流回路が割り込んで使った電圧分(=バイアス)が300Vから目減りします。
求めた動作条件は、Ep=251V、Ip=40mA×2、bias=-49Vです。出力トランスは元のままなので、1次インピーダンスは3kΩです。ロードラインは立ちすぎており、差動PPではロードライン上のほぼセンターにこなければならない動作基点(○印)が右下に偏っています。この動作で得られる最大出力はたったの2.4Wです。どうしてこんなことになってしまうかというと、(1)プレート電流が少なすぎる、(2)負荷インピーダンスが小さすぎるからです。
差動PP(改造案2)・・・Ipを増やす+負荷インピーダンスを工夫する
改造案1をすこし見直してみます。出力トランスを取り替えることはせずに、プレート電流を増やすことだけを考えてみます。AB級プッシュプルでは、無信号時のプレート電流は少な目にしますが、最大出力付近を出した時のプレート電流はかなり多くなります。従って、電源回路は、この要求に耐えられるだけの容量を持っていると考えることができます。しかし、連続した大電流に耐えるかどうかは?ですので、控え目に50mAまで増量することにします。
そうやって求めた動作条件は、Ep=253V、Ip=50mA×2、bias=-47Vです。この動作で得られる最大出力は約3.75Wです。もし、出力トランスの1次巻き線に5kΩタップがついていたならば、同じ条件でも約6.25Wを得ることができます(*印)。
出力トランスの2次側の4Ωタップがあるならば、そこに8Ωスピーカーをつないでしまうという技もあります。こうすることで、3kΩの出力トランスが6kΩに変わります。この場合には、約7.5Wを得ることができます(**印)。
差動PP
最後は、本来の差動プッシュプル動作の場合です。基本的に、A級シングル動作と同じである、と考えて間違いありません。この場合は、約8Wが得られます。
工事中
■LUX SQ38FD / 50CA10 AB級プッシュプルの差動化
LUX SQ38FD / 50CA10 AB級プッシュプルの場合を例に検討してみます。なお、以下の表中でも文字色とグラフ中のロードラインの色を合わせてあります。
2A3 A級
シングルAB級PP 差動PP(改造案1)
単純移行差動PP(改造案2)
Ipを増やす差動PP
本来の動作電源電圧(Eb) 約260V 約430〜440V 約430〜440V 約430〜440V 約375V プレート電圧(Ep) 250V 400V(最大出力時)
420〜430V(無信号時)420V→380V 420V→380V 330V プレート電流(Ip) 80mA 50mA×2〜75mA×2 50mA×2 60mA×2 74mA×2 バイアス(bias) -22V
(固定バイアス)-43V
(固定バイアス)-40V
(定電流バイアス)-39V
(定電流バイアス)-32V
(定電流バイアス)負荷インピーダンス(RL) 1.5kΩ 5kΩ(P-P間) 5kΩ(P-P間) 5kΩ(P-P間)
10kΩ(P-P間)*6.6kΩ(P-P間) 出力(Po) 6W 34W 約6.3W 約9W
約18W*約18W コメント 発表データ 発表データ 単純移行 Ipを増やす
負荷インピーダンスを高くする-
差動PP(改造案1)・・・単純移行
50CA10のAB級プッシュプル回路をそのままほとんどいじらずに差動化(単純移行)することを考えます。
まず、2管のカソードとアースの間に定電流回路を挿入します。単純移行ですので、定電流特性は元の回路と同じ50mA×2=100mAとします。固定バイアスの時は、実質プレート電圧は400V以上あったわけですが、定電流回路が割り込んだためにカソードバイアスのようなことになり、定電流回路が割り込んで使った電圧分(=バイアス)が目減りします。
求めた動作条件は、Ep=380V、Ip=50mA×2、bias=-40Vです。出力トランスは元のままなので、1次インピーダンスは5kΩです。差動PPではロードライン上のほぼセンターにこなければならない動作基点(○印)が右下に偏っており、動作しては最適化されていません。この動作で得られる最大出力は1/5に減ってしまって6.3Wです。パワーを稼ぐためのAB級では、限りなく高いプレート電圧、少な目のプレート電流、低めの負荷インピーダンスとなるため、これをA級に変更しようとするとことごとく壁にぶつかります。
差動PP(改造案2)・・・Ipを増やす+負荷インピーダンスを工夫する
改造案1をすこし見直してみます。出力トランスを取り替えることはせずに、プレート電流を増やすことだけを考えてみます。AB級プッシュプルでは、無信号時のプレート電流は少な目にしますが、最大出力付近を出した時のプレート電流はかなり多くなります。従って、電源回路は、この要求に耐えられるだけの容量を持っていると考えることができます。しかし、連続した大電流に耐えるかどうかは?ですので、控え目に60mAまで増量することにします。
そうやって求めた動作条件は、Ep=380V、Ip=60mA×2、bias=-39Vです。この動作で得られる最大出力は約9Wですが、これでもまだ最適化されてはいません。
出力トランスの2次側の4Ωタップがあるならば、そこに8Ωスピーカーをつないでしまうという技もあります。こうすることで、5kΩの出力トランスが10kΩに変わります。この場合には、動作は最適化されますので約18Wを得ることができます(*印)。但し、ロードラインの裾が700Vあたりまで伸びていますが、この領域でまともな特性が得られない球も多いので、計算どおりのパワーが得られるかどうかは?です。
差動PP
最後は、本来の差動プッシュプル動作の例です。この場合は約18Wが得られます。しかし、このように低い電源電圧を得るためには電源トランスに低い電圧の巻き線が必要ですが、SQ38FDの電源トランスにはタップが出ていません。高い電圧でしか使えないのです。従ってこの動作は、電源トランスを変更しない限り、SQ38FDの改造には残念ながらフィットしません。もし、抵抗などで電源電圧をドロップさせたとすると、なにしろ300mA近い大電流ですから、20V下げるだけでも6Wもの電力消費になってしまいます。SQ38FDはケース内がすし詰めな上に放熱があまりよろしくないので、これ以上熱がでる部品を入れたくありません。