マイクロフォンアンプ付きヘッドホンアンプ ・・・・楽器演奏者用モニターシステム


ウィーンフィルのプローベ(リハーサル)を見ないかと誘われて楽友協会大ホールを訪れた時のことでした。休憩時間になるとお客が来ていないのにホワイエのカフェが開店してコーヒーと飲んだりサンドイッチをほおばる団員や関係者達でわいわいと賑わいます。そこである団員からちょっと変わった相談を受けました。それは、楽器を演奏していると自分の音がすぐそばで鳴るのでお客様の位置でどんな音で聞こえているのかがわからない、楽器からの直接音と残響とのバランスもわからない。なんとかそれを自分で確認しながら練習できないものか、というものでした。楽器は「そば鳴り」といって近くで聞いてよく鳴っていても、音がしっかりと遠く届かないことがあります。奏法によって音の飛びかたはかなり変わるので、そういったことも自分で試したいらしいのです。

ポップスなどのスタジオ・レコーディングでは、ブースの中にいる奏者は必ずCUE用のモニターヘッドホンをつけて自分の音をモニターしているし、ライブステージでもやはりヘッドホンモニターは普通に行われてるから同じことを練習の場でやればいいだけですよ、と申し上げました。もっとも、そばで聞いていたチェロ氏は「ヴァイオリンなんて耳の傍でガーガー鳴っているんだからヘッドホンしたって音が漏れ漏れだよ」と冷やかな態度。言うだけでは話が進まないので、日本に戻ったら実験装置を作って送るので試してみてほしい、と言って別れたのでした。


基本構成の検討

<あるもので実験>

とりあえずどんな感じになるのか、あるものでやりくりして実験をしてみました。マイクロフォンは手持ちのものを何種類か出してきて、マイクロフォンアンプの代わりにデジタル・フィールドレコーダーPMD-661を使いました。PMD661にはヘッドホンアンプがついていますが、パワーがないのと音がいまひとつなので外付けでFET差動ヘッドホンアンプを使うことにします。楽器はギターくらいしかないのでこれで代用します。演奏技術については不問です。実際にやってみて、密閉型のヘッドホンを使ったとしても音漏れはかなりあるにもかかわらず十分にモニターできることがわかりました。

<録音可とするか、モニターのみとするか>

これは非常に迷いました。実は、面倒なシステムを作らなくてもフィールドレコーダーさえあれば、マイクアンプがついているしヘッドホンモニターもできるので当初の目的はそれなりに達成できてしまう上に、ボタンを押すだけで簡易録音もできてしまうからです。しかし、このしくみの要求は素人が録音ごっこをするのとは根本的に違います。プロの演奏家はその時その時の音楽が大切なのであり、録音してそれをプレイバックしたり、記録として残すようなことは全くしないからです。考え方も操作もシンプルな方がいいということで、録音機能については見送り、リアルタイムのモニター装置に徹することにしました。まあ、それ以前にもMarantzにしてもFOSTEXにしてもフィールドレコーダーのヘッドホン出力の音は使えません。

<基本コンポーネント>

いろいろ考えて基本コンポーネントは下図のとおりになりました。楽器1本であればモノラルでもよさそうに思いましたが、アコースティックな音のバランスも拾いたいという要望があったのでマイクロフォン系はステレオとしました。マイクロフォンアンプは簡単ながら2段階の利得可変とします。普通のヘッドホンアンプとしても使えるようにLINE入力を設けます。音量ボリューム以降は普通のヘッドホンアンプと同じです。

ここで問題となるのは、どんなマイクロフォンを使うのか、コネクタには何を使うか、マイクロフォンアンプの利得はどれくらいに設定したらいいか、といったことですね。簡単ながら実用性のある道具にするには、検討すべきことがたくさんあって・・・・。


マイクロフォンの選定

楽器のモニターとして使えるマイクロフォンというと、どうしてもプロ機あるいはそれに準ずるモデルになってしまいます。マイクロフォンの音は、ほとんど金額で決まってしまうようなところがあり、廉価なマイクロフォンはやはりそれなりの音しかしません。マイクロフォンを2本立てるのはできたら回避したいので、ワンポイントタイプのステレオ・マイクロフォンがベストなのですが、そもそも音が良いステレオ・マイクロフォンというのが非常に少ないです。また、プロ機となるとファンタム電源が当たり前なので、そうなると扱いが少々面倒です。フィールドレコーダーPMD661の内蔵マイクロフォンはこのような目的には全く力不足でした。


左画像(AKG C414-XLS、Audio Technica 9943、Neumann KM131)、中央画像(RODE NT4)、右画像(Audio Technica 9943)

いろいろとあたってみて、民生モデルでAudio Technicaの9943というワンポイント・マイクロフォンを見つけました(右端)。非常に良く似たワンポイントマイクロフォンにRODEのNT4というのがあり知名度はこちらの方が高いでしょう(中央)。ワンポイント・マイクロフォンは(50万円以上するプロ機は別として)通常Cardioidユニットを使います。Cardioidはローエンドが減衰しやすいのとどうしても音に癖が出るので敬遠したいところだったのですが、AT9943はCardioidらしからぬ素直な音であること、40Hz以下も見事に拾ってくれること、ファンタム電源を必要としないことが決め手になりました。それにしてもこの音この性能で定価34,650円、実売2万円+αとはなんという安さ!

AT9943は単3乾電池1本で動作するバックエレクトレット型のワンポイント・ステレオ・マイクロフォンです。このマイクロフォンのお尻には3ピン・キャノンのオスがついていますがこれが実に変則的な接続になっています。取説には一切情報がないのでテスターであたってみたところ、2番がLチャネルHOT、3番がRチャネルHOT、1番がL/RコモンのGNDになっていました。付属のケーブルの一端には3ピン・キャノン・メスがついていて、反対側はL/Rに分かれた2つのアンバランス・フォーン・プラグがついています。要するに、3ピン・バランスケーブルをアンバランス・ステレオとして流用しているわけなんですね。この方式でありがたいのは、延長ケーブルとして普通の3ピン・キャノンケーブルがそのまま使えることです。これで-10dBのPadがついていたら申し分ないのになあ(ついてませんでした)。


全回路図

あまり親切な解説はできませんが、全体の回路は以下のとおりです。何かのご参考になれば・・・。なお、抵抗値に半端な値のものが散見されますが、あるものを使ったのでそういうことになったとご理解ください。

マイクロフォンアンプ部

マイクロフォンアンプの設計で難しいのは、(1)利得の設定と(2)許容入力の見切り(3)入力接続仕様の3つです。ヘッドホンアンプには当サイトでおなじみのFET差動ヘッドホンアンプを使うことにしたので、電源電圧は11Vくらいしかありません。マイクロフォンアンプの場合、高い利得を得るにも、十分な許容入力を得るにもとにかく高い電源電圧が欲しいというのにたった11Vしかないわけです。入力仕様については、アンバランス入力に割り切ったのでファンタム電源などの煩わしい問題は消えました。

回路方式としては、OPアンプを使うかディスクリートで組むか迷いましたが結局誘惑に負けてディスクリートに決定(え?普通は誘惑に負けてOPアンプなんじゃないの?)。回路はご覧のとおりのやや古典的かつ簡単なものです。物理特性は追求していませんが、この回路は30年前から気に入っていてよく使っています。OPアンプでも電源電圧が11Vしかないと最大出力電圧は3Vを出すのがやっとですが、本機でもなんとか3Vを出します。利得は104倍と214倍の2段階です。この利得は、実際に楽器の音を拾う実験を行って決めました。本来であればどんなマイクロフォンがきてもいいように3〜4ステップで30dBくらいの利得レンジがほしいところですが、スイッチのスペースなどを考えると2ステップが限界です。超低域は切ってしまいたいので、入り口と出口の両方合わせて約20Hz-12dB/octとなるHPFを入れてあります。

なお、入力のフォーンジャックまわりですが、プラグを差し込まない状態では入力がアースにショートされます。TipはアンバランスHotなのでマイクロフォンアンプの入力につながりますが、Ringは使わないので強制的にアースしてあります。すなわち、TRSを使ったバランス入力ではありませんので、電子式バランス出力のマイクロフォンには適合しません。

入力切替と音量ボリューム

入力切替は4回路3接点のロータリースイッチで行っています。マイクロフォン側は利得のLoとHiの切り替えを兼ねています。

・LINE入力
・MIC入力-Low
・MIC入力-High
音量ボリュームのところに82kΩの抵抗が入れてありますが、これにはわけがあります。マイクロフォンアンプの利得をHiにして音量ボリュームを絞った状態で使った場合、ヘッドホンアンプ側には出力の余裕があるのに、マイクロフォンアンプ側で許容入力オーバーが生じて歪んでしまうのです。このようなことを起こりにくくするためには、音量ボリュームが12時くらいのポジションにおける減衰を抑える必要があります。この82kΩがない場合の12時ポジションでの減衰は-17dBくらいですが、82kΩを追加したことで減衰は-14dBくらいになっています。(マイクロフォンアンプやミキサーの設計でヘッドマージン確保に苦労された方であれば、なんでこんなことをするかおわかりだと思います)

ヘッドホンアンプアンプ部

ヘッドホンアンプは同時に最大4台のヘッドホンが鳴らせることがご本人の要望でした。どういうことかというと、弦楽四重奏の練習で4人の音を1本のステレオ・マイクロフォンで拾って、4人全員のヘッドホンを同時に鳴らしたいということなんだと思います。63Ωのモニターヘッドホンを使ったとして16Ω負荷、32Ωのヘッドホンだと8Ω負荷で十分な音量が得られなければなりません。しかし、FET差動ヘッドホンはそのままでは力不足なので、回路の動作条件を全面的に見直す必要がありました。なお、ヘッドホンジャックは1個しかないので、複数のヘッドホンを鳴らす場合は分配器が必要になります。

ヘッドホンアンプ部は、CQ出版の付録のプリント基板を若干改造して使いました。出力段トランジスタはオリジナルの2SA1358/2SC3421ではなく、電流容量が大きい2SA1359/2SC3422に変更しました。出力段のエミッタ抵抗も10Ωから2.2Ωに減らして、アイドリング電流を60mAに増やしています。出力段トランジスタ1個あたりのコレクタ損失は330mWほどになるのでかなり熱くなります。これらに合わせてダイヤモンドバッファ部全体および電源部の抵抗値も修正してあります。これらの動作条件は、仮組して何度も実験して決めました。こういう設計の追い込みは机上ではちょっと無理です。

電源部

電源は15VのACアダプタを使い、トランジスタ式の簡易安定化電源を経てプラス側が約11V、マイナス側が-1.55Vを供給しています。回路的には特に変わったことはやっていません。使用したトランジスタの2SC1762は、たまたま部品箱にあったものの流用です。全消費電流は170〜180mAになりますので、DC15V入力のところの1mHのインダクタは耐電流=0.48Aのものを入れています。


製作

前面パネルはごく普通のヘッドホンアンプの顔をしています。後面パネルには、マイクロフォン入力用のフォーンジャックとLINE入力用のRCAジャックが見えます。このフォーンジャックはSleeve(アース)側が非絶縁タイプのものを使いここでシャーシアースを取っています。スイッチは、入力切替とマイクロフォンアンプの利得切替を兼ねています。やや踊った手書き文字がご愛嬌。

内部レイアウトはご覧のとおり。電源部およびヘッドホンアンプ部はおなじみのCQ本の付録の赤い基板を改造し、マイクロフォンアンプ部はタカスのユニバーサル基板を使いました。このケースに2枚の基板を収めるにはスペーサは高さ6mm以上では苦しくて、5mmのものが必要でした。前後のスペースもほとんど余裕がなく、ミリ単位の攻防でした。


特性の測定

<マイクロフォンアンプ部>

利得はLoで104倍、Hiで214倍となりました。周波数特性は、低域側はLo/Hiともに20Hzで-3dB落ちなので設計どおりです。高域側は20kHzあたりから落ち始めてだらーっと下ってゆきます。この特性は2段目の2SK170の内部容量によるものです。そのため位相補正なしで高域側の安定は保たれます。歪み率があまり低くないのは、裸利得が稼げていないために負帰還量が少ないからです。帯域80kHzにおけるマイクロフォンアンプにおける1V出力時のS/N比は75.5dB(Lo)、70.7dB(Hi)となってまあまあの値です。測定器側に20kHzの帯域フィルタをかけたところS/N比はそれぞれ80.0dBと74.0dBに上がりました。実際に使ってみると、マイクロフォンの固有ノイズの方が大きく、部屋のバックグランド・ノイズはさらに大きいので実用上は十分な値です

<ヘッドホンアンプ部>

利得は2.9倍となりました。この時の100Ω半固定抵抗器の値は74Ωです。周波数特性および歪み率特性は原回路であるFET差動ヘッドホンアンプに良く似ていますが、大きな違いは15Ω以下の低インピーダンス負荷におけるパワーダウンが少ないことです。

歪み率が1%となる出力は、
68Ω負荷時・・・95mW
33Ω負荷時・・・188mW (63Ωのモニターヘッドホン×2台並列にした場合1台あたり約90mW)
15Ω負荷時・・・336mW (63Ωのモニターヘッドホン×4台並列にした場合1台あたり約80mW)
10Ω負荷時・・・400mW (32Ωのモニターヘッドホン×3台並列にした場合1台あたり約130mW)
となりましたので、十分なパワーが得られます。


とりあえずの使用感

マイクロフォンアンプ部の利得設定はどんぴしゃでした。音もS/N比もまあまあで十分に実用レベル。マイクロフォンを使ってのテストでは、Marantz PMD661と比較しましたが、本機のマイクロフォン・アンプの方が圧倒的にリアルな音がしました。というか、PMD-661が思っていた以上にねぼけた音でがっかり。本機のヘッドホンアンプ部はいつもどおりのなかなか良い音がします。

本機は、10月中旬にある人に託してウィーンに運んでもらいます。さてご本人の感想&評価やいかに?



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