折々の歌句

木村 功


1998.1 (お正月に家族集まる)
あらたまるよそほいしたる孫等来てぢいもうれしき年玉のとき
初春の袴姿の凛々しさよやまとなでしこやまと男の子等
初春や一家を成せる子等集う
着ぶくれて日の出待ち居る寒雀

1998.4.5
春浅き高尾の沢の静けさに瀬音聞きつつ二輪草は咲く
花の下つがいの鴨のむつまじくその艶ややかな黒と黄の嘴(はし)
夜を帰るお鷹の道の月あかり
花まつり甘茶なつかしおしやかさま
青空に染まぬこぶしの白さかな
花こぶし天使の衣(きぬ)の白さかな
茜空鴉舞い舞い陽が沈む

1998.6 雨の日に
雨の日に裏の空き家の荒れ庭にみゅぅみゅぅの声す野良母となる
梅雨寒むや野良の仔猫の目の泪
よごれたる濡れ毛そば立て雨の日も垣を越え来る野良のまなざし
夜もすがら雨の軒下ひたひたとさみだれの音宿無しの恋

1999.2
国分寺の遺跡(あと)の草原萌え立ちぬ吾子と遊びし過ぎし日のまゝ
久々に分寺の跡地を訪ぬればあらなつかしや垣の穴道
(幼き日のはやりうたの想出)
「カチューシャ」はまだ早いよと子のうたをいましめ給いし在りし日の母
(片桐彦雄さんを想いて)
きさらぎや君の鼻うたなつかしき「春は名のみぞ風の寒さよ」♪〜

1999.3〜4
草笛はみどり色して風に消え
まっすぐにやわらかに飛ぶ草矢かな
ほっちょうとかけすひと声杜に消え
言わねども妻の優しき夕餉かな
奥様は蔭口もある長電話
年毎に弱くなりゆく我が棋力老いをいたわる碁仇の居て
老いるとも長らへむかな此のいのち可愛ゆき孫の末たのしみなれば
徒然の占いたのしトランプは明日のことなど知らぬと云うが

1999.4.27
シーズンの待たるる春や今年また明けて横浜暮れて横浜

1999.7.20 (誕生日、息子夫婦に甲州までドライブに誘われて)
幸せをひとり占めにする誕生日
辿り来て見しや高原の夏草のかげに楚々たるりんどう一輪
夏山の気まぐれな空忽ちに霧にかすめりぶなの梢も
峯を這い流れる霧は風情哉峠の茶屋の藁麦もうれしき
久々の親子の旅のたのしさはいつかあの日の想出とならむ
谺(こだま)して一鳥啼きぬ霧の八ツ岳

1999.8 1945年夏のこと
おどろしき修羅の巷や爆心の焼けあと見たり青春の日の吾

1999.8.10
羽音高く蜂一つ部屋に迷い入るレースのカーテンより夏透けて見ゆ
われもこう
きらきらとまだ見ゆ雁の別れかな

1999.11
霜を着て粋な娘のよなもみぢかな
残り柿姥の皺乳(しわぢ)の如く垂れ
こがらしはだゝっ子のようにすねて吹き
飛行雲一条白し天高し
まだ居たか霜月の蚊は刺しもせで
どうだんの霜げて紅き緋の凄さ

1999.12
物云えば諍(あらそ)いになる予感して冷たき烏賊の皮を剥きおり (竹谷弘子)

2000.1〜3.23 病院の窓
最終の息する時迄生きんかな生きたしと人は思うべきなり (窪田空帆)
病窓にようやく朝のひかり射し今日も生きむと我を励ます
歩むさえままならぬ身のもどかしきベッドにすがる細く白き手
我よりも重き病いの友をみてひそかになぐさむ貧しきこころ
病重く眠れぬままに醒めて聴く深夜ラヂオの夜の長さよ
母の押す車椅子の子のまぶし気や小春日和の病院の庭
病棟の窓をかすめる春の雪こころおどらせ飽かず眺むる
シーツ替(が)え開けたる窓に春の風
うれしげに明日退院と云ふ病友(とも)にこころうつろにおめでとうと云う
晴れやかな退院の病友(とも)を見送りつあとに残れる主なきベッド
病棟のをんな患者のかしましき

2000.3.25 里の四季
(村のお寺の春の祭り)
花まつり甘茶なつかしおしやかさま (再掲)

(ツバナは茅の若い花穂、かすかに甘い)
つばな抜く子等とさつきの空の碧(あを)

(稲刈りの手を休め土手の草の匂いとともにかき込む残りご飯)
ふるさとの漬菜しみじみ茶漬けかな

(小学校同級の喜(七十七)寿記念文集に寄せて)
こがらしはすねて寝た子の子守りうた

2000.3〜4 風呂が新しく立派になった
新(にい)風呂や喜寿のふぐりをゆらしけり
春の風妻の機嫌ももどりけり

2000.4〜5 お鷹の道
鷹狩りの名残りをしのぶあぜ道も今は変りて石畳み敷く
山鳩(きじ)一羽お鷹の道を塞ぎけり
緑蔭のお鷹の道に山鳩(きじ)一羽
今は亡き義兄をしのびて
此の道を君が親しみ給いしをそゞろ歩みて今懐しむ
泉涸れ野川のほとり草むらにほたるのひかり消えて久しき
ゆく春のみどりを惜しみその道を杖にすがりて訪ね来てみし
一枚の写真に残る此の道の欅の木立ちあの日のままに

2000.7.3 「あの星で待っています」
西村の義父は癌のため五十四才の生涯であった。死期の迫った或る日、
父は母に「平素私は一軒の家を建てることが念願の一つでした。
神に召されたら私はあの星で素晴らしい家を建てて貴女を待っていますよ」
何としみじみとしたうらやましいような優しい会話でありました。
妻に伴われて
病めるとも楽しきことはあまたあり病院か良いさえ楽しからずや
梅雨の間の陽ざしの見えし昼下り幼稚園児のうた声聞こゆ

2000.7.7 伊那谷の七夕祭り
芋の葉の露や銀河のこぼれ水
幼な児にロマンを語る天の川

2000.7.8 快眠・快食・快便
病みてこそ此の食卓の楽しさよあり難き哉有難き哉
やっと出てお腹すっきりひと安堵今日一日の幸せの始まり

2000.7.20 嚥下障害で食が細り体重急減
浮き出たるミイラの肋(あばら)数え居り尚生きんかな悲しきいのち
夏布団ふわりとかかり骨の上

地獄の沙汰
閻魔殿慈悲の医者に舌を巻き

蘇生したぞ!
死神に嫌われている医者も居り

女房の愚痴を聞くのがせめて私に出来ること
愚痴話聞くも功徳の一つ也
梅雨明けてクーラーにわかにはしゃぎ出し
瀬戸際と思へる程の暑さかな残りの日々を数えつつ病む
夏過ぎてすこし痩せたる白き脛(すね)
夏相撲したたる汗に勝ち名乗り

2000.8.1
ひょろひょろと妻の蒔きたる秋ざくら
床病みの伸びたる髪を刈る妻の鋏の音に心晴れたり

2000.8.20
台風は石廊の沖か夏雲は怪しくくずれ黒くたなびく
庭古りて棕櫚の下葉は枯れにけり己が手足の萎えたる如く
椎の実の子等と拾いし木の下のまろきを見れば子等を思ふ
生きるとは残る力を活かすことなり
満月やいのちの如き円さかな (欠けざる命、大切に)
親鳥の卵温め抱く如くそっと抱きしめる愛しきいのち

2000.9.5
顔見たやうしろ姿の秋日傘
垣をゆく日傘の尖(さき)にトンボ居り

2000.10 小説「土」
読みさしの「土」は久しく本棚に未だ終えずして背表紙褪せぬ
頑に節(たかし)と呼ばず節(せつ)と云ふ我生涯に愛せし作家

2000.10.15 夕餉
懺悔して粥啜(すす)りをる夕餉かな
食べ飽きぬ心こもれる夕餉かな

2001.1.11 姉の訃報
永劫の幸せ得たる故郷の姉
命日となるが悲しき雪の朝
思い出は今は儚なくなりにけり幼き頃の姉弟げんかも

東大付属病院の看護婦時代
しばしば不忍池のほとりに二人して散策したはなやいだ日を想う
山里につましく生きし女(ひと)故に不忍の池の若き日を想ふ

2001.3.10
なづな咲き看護婦一人嫁に行き
花びらものせて食べたや桜餅

2001.3 聖者の最后
生きるとはかの料亭の活船(いきふね)に名指さるまでに生きる魚かも

2001.8.17 朝日新聞のカラーページ
夏日照りきすげも喘ぐ昼下がり
甘草の草笛の音はうすみどり

2001.11.18 二つの余生夫々に
一つ家の思い思いの余生かな
凍てる星降りて小庭の霜柱
此の一手ににんまりされて石を投げ
勝った碁は済まなさそうに世辞を言い
碁に負けて帰る夜道の足許を照らす十三夜の月の優しさ

2001.12 梗塞の後遺症に負けるな
緩下剤効き過ぎの朝は間に合わずすこし漏らして便座に急ぐ
なまけものの動きの如き麻痺の手はもどかしきかな碗も支えず
薬さえ拒む嚥下の障害にアクエリアスは女神の水かも
糞づまり腹筋体操いち!にっ!さん!力んでみたがおなら一発
板の間に敷きたるマット意地悪し萎えたる足に何故か躓く
階段の手摺りすりつつ昇り降りたまにはいっそ飛び降りて見む
麻痺の手をいたわりつつも心して割るまいと思う一枚の皿
手も足もままならなくに此の一日(ひとひ)さらばのたりと碁でも打たんか

2001.12.30 戦争の手記を書いて
駅舎さえ骸となりし爆心を復員列車は黙して通る
爛れたる黒き鉄路を復員の列車が通るその日の広島


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