<簡単なのにハイエンド>

FET式差動ヘッドホン・アンプの音
The Sound of Simple FET Differential Headphone Amplifier


FET差動ヘッドホン・アンプは非常に多くの方々に作って頂いています。頒布した部品だけカウントしても1500台以上になります。とても良い音がしますが、その音は他の多くのヘッドホン・アンプとは違っているようです。オーディオ・アンプの音は、設計者が良いと感じる音、好む音になると言われています。その通りで、このホームページで公開しているオーディオ・アンプやDACは、いずれも私好みの音がします。あなたの耳に変な音であっても、設計者はそれがいいと思っているのですから。設計者がどんな音楽を好み、どんな聞き方をし、どんな音を好むのかを知ることは大いに意味があります。ここでは、どんなことを考え、何を目指してこのヘッドホン・アンプを設計したのかについて書いてみょうと思います。

■私が好きな音

私がどんな音楽を聞いているのかについては、こちらのページを見てください。クラシック音楽は幅広く聞きますが、室内楽は殊のほか好きで、いくつかの室内楽アンサンブルの活動を支援しています。そのため、生の音を間近に聞くことが多く、演奏者の息遣いやその場の空気感を味わいながら聞きたいと思っています。室内楽の特徴として、内声部の微妙な綾を聞き分けるという楽しみ方があります。これはオーケストラでも言えることで、一つ一つの楽器の音が聞き分けられるようなオーディオ・システムでなければなりません。そのためには、高品位な中域の再生能力が問われます。

コントラバスという楽器は、オーケストラと室内楽とでは根本的に異なる音がします。低音楽器は、周囲の空間の状態によって鳴り方が著しく変化します。それは皆さんもスピーカーのセッティングで経験済みのはずです。コンサート大ホールで聞くコントラバスの音とサロンのような小ホールで聞くコントラバスの音とでは、楽器の表情もリアリティも迫力もまるで違います。例えば、L.v.Beethovenの七重奏曲のコントラバスを聞けば私が言っている意味がわかると思います。室内楽のコントラバスの豊かな表情を再現するには、低域の再生レンジに相当の余裕が必要です。無理なく10Hzが再生できることが一つの基準になります。

全ての周波数レンジにわたって誇張のないフラットネスが確保されていることも重要です。測定上はフラットなのに、何故か特定の周波数帯域が強調されて聞こえる現象は皆さんも経験されていると思います。聞こえ方のフラットネスはとても重要です。

オーディオ的に音を追求したアンプは、何故かストイックな音になりがちですが、そのようなアンプは長時間音楽を楽しむことができません。音楽を聞くというよりも、音を評価することになってしまいます。もっともそうすることがオーディオ・アンプ作りの目的なのでしたら何も言いません。私のアンプは、そのような目的には向きません。


●回路と音、ノイズと音、部品と音

電子回路にはさまざまな方式・種類があり、一つのことをするにも多くの選択肢があります。そうした中で何を選ぶかは設計者に任されます。設計者は、これまでの経験から好む回路、使いたくない回路があるものです。気に入らない音がした回路や使いにくい回路、自分の考えと合わない回路は使わなくなります。回路定数の選び方にも設計者の個性が現れます。私はどちらかと言うと省電力設計の傾向があり、無駄な電流は流しません。消費電力は全て熱になりますが、部品も配線材も全て熱を嫌うからです。回路インピーダンスは中くらいかやや低めです。DC直結にこだわりはなく、コンデンサは必要に応じて躊躇なく使います。音がいい悪いということよりも、回路動作の安定性や信頼性を優先します。プロ用の業務機材は、どれもそういう考え方で素晴らしい音を出しているからです。

ノイズは僅かであっても音を損ねます。能率87dBのスピーカーを鳴らす場合、残留ノイズが1mVもあるとはっきりと耳に聞こえます。0.3mVくらいになると近くで聞いてもほとんど分からなくなりますが、更に0.2mVまで減らしてみると雰囲気が変わることに気づきます。ノイズは、部屋の暗騒音に埋もれて気づかないようでいて実は聞こえていたのです。

ヘッドホン・アンプの場合はもっとデリケートで、市販のヘッドホン・アンプで装着してノイズが全く聞こえないと感じるものは滅多にありません。このホームページのヘッドホン・アンプのほとんどは、誰が作っても残留ノイズは10μV程度で理論値の限界に迫る数字であり、無音に感じられるレベルです。回路設計と実装の両面において、ローノイズへの追求はちょっと普通ではないかもしれません。

実は最初からローノイズを目標としていたわけではありません。「情熱の真空管アンプ」のアースの章を書いた時に、リプル電流やオーディオ信号電流の経路をきちんと整理して実装すれば、アースに起因するノイズがでなくなるだけでなく、オーディオ信号の流れにも無理がなくなるということに気が付いたのです。その一つが全段差動PPアンプのコンセプトだったわけです。無理のない信号電流経路を作ることと、良い音と、ノイズを出さないことが全て繋がっていると思っています。そして、徹底したローノイズ性能は良い音への近道のように思います。

部品については、信頼性と現実的な経済性で選びます。部品自体に直接的に音の良さが宿ることはないと思います。電子回路は物理現象ですから、その性質と音の良し悪しという感覚的なものを直接的に結びつけるのには強い違和感があります。音の良い部品などというものは存在しないということです。もし、そんな都合の良いものがあったら私も真っ先に使っているでしょう。


●業務用モニターの音

業務用モニターの音をさして「モニター的でつまらない音、あら捜しの音」という表現に時々出会います。その人は一体何を聞いてそう思ったのでしょうか。私の手元には、いくつものスタジオ・モニター機材がありますが、つまらない音がするものは一つもありません。いずれもソースの音を正確に伝えようとする姿勢を感じます。レコーディング・スタジオのメインモニターともなると、それはリアルでいつまでも聞いていたい心地良さがあります。エンジニアが時間をかけてチューニングして仕上げた音です。

このヘッドホンアンプの製作目的はスタジオ・モニター用だったのですが、あら捜し用途だけというのはモニターアンプとしては失格です。モニターアンプは、音楽そのものに加えて音楽ソースに含まれるさまざま息遣いや楽器が発するノイズ、録音場所で発生している暗騒音まで克明に表現するだけでなく、やはり音楽として、音として気持ちの良いものでなければなりません。エンジニアだってツマラナイ音は聞きたくないし、そんなアンプでは仕事にならないからです。時々スピーカーではなくヘッドホンのみでモニターしなければならない現場があるそうですが、ヘッドホンのみによるモニターは疲労が激しく、聞き疲れしない本機は、そのような目的はある程度達成できたと思います。

ちなみに、2台製作したうちの1台は、音の良い作品を次々と世に送り出している都内某スタジオで修行中です(ラックに収められている→)。ここには全段差動PPモニターアンプ×2台や全段差動マイクプリ×2台もあり、制作の主力機材のひとつになっています。

なお、先に製作した12V版と本機とでは音の違いは若干ありますが、その原因は電源および出力段で使用した電解コンデンサによるものだと思います。しかし、どうやらオーディオ用電解コンデンサの採用が裏目に出たようで、エンジニア氏にOPアンプを使った他の2台のスタジオ機材と比較しつつ聞き込んでもらったところ、以下のようなコメントが返ってきました。

良い点・・・OPアンプを使った機材特有の「いらいら感」がなく、中高域が気持ちよくかつ存在感も出ていてよろしい。帯域も申し分ない。
悪い点・・・150Hzあたりにピークっぽい音を感じてこれがよくない。(この問題は電源および出力コンデンサ容量を増やすこととオーディオ用から通常タイプに変更することで解決しました→こちら

なお、電源方式による有意な違いは認識できませんでした。

画像出典:STRIP


■物理スペック

どんな音なのかを測定する物理指標はありません。測定できるのは、周波数特性や歪み率特性、ノイズの状態ほか若干の数字だけです。それでも良い音だと言うための物理特性のボトムラインはあります。面白いのは、物理特性をよく観察すると、どんな回路設計をしたのかすら見えてきます。

周波数特性でいうと、10Hz〜30kHzで減衰がないことです。高域側の帯域は、広い方がいいと(以前はそう思っていまいたが)いうわけではなく、30kHz以上まで素直に伸びていれば十分というのが今の考えです。低域側は案外低い方まで必要で、一般言われている20Hzまでで足りるとは言えません。録音されている楽音は確かに20Hz止まりですし、耳にも聞こえません。しかし、上質の20Hz〜100Hzを再生しようとすると、10Hzくらいまで伸びている必要があります。低域は、周波数特性上はレスポンスがあっても、歪みが増えたり、左右チャネル間クロストークが劣化したりいろいろなことが起こります。例えば、トランスの使い方が適切でないと、150Hz以下でレスポンスが微減します。この微減というのが曲者です。

歪み率特性は、0.1%を十分に下回る数字が欲しいですが、加えて50Hz〜20kHzの範囲で目立った劣化がないことが重要です。1kHzで0.01%だけれども10kHzで0.1%のアンプよりも、100Hz〜10kHzが0.05%のアンプの方が好ましいです。そのためには、周波数全帯域において一定の負帰還がかかっている必要があります。強い位相補正を行った高帰還アンプはこの条件を満たすことができません。歪率を1kHzと10kHzで比較すると、10kHzで明らかな劣化が生じています。負帰還は、特性を改善し音を良くする効果がありますが、力づくでかけても効果はありません。トランスはとにかく低い周波数が苦手で、使い方が下手だと150Hz以下で歪率がどんどん劣化します。



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