オーディオテクノロジーへの提言
「全段差動プッシュプル・アンプの謎を解く」


これまでいろいろな方に「全段差動プッシュプル・アンプ」を聴いていただきましたが、皆さんが共通しておっしゃることは「プッシュプルなのにこれまで聴いたことのあるどのプッシュプルの音ででもない」「プッシュプルなのにシングルみたいな音がする」でした。私は、これまで、この言葉に特別な関心を持つことなくすごしてきましたが、もしかすると、この言葉のなかには非常に重要な真理が語られているのではないか、と思うようになったのです。

それは、全段差動プッシュプルアンプの音が、明らかにプッシュプルアンプとは異なる音であること、たとえば、定位感のある密度の高い音場であること、独特の力感を持った低域であることなどです。何故、このような音がするのか、必ずどこかにその理由とメカニズムが隠されているはずです。趣味とはいえ、アンプを設計・製作する者として、なんとかしてこの謎を解き明かしたいと思います。

その試みの第一弾として、(1)シングルアンプ、(2)プッシュプルアンプ、(3)全段差動プッシュプルアンプの3つの方式について、異なる点、共通点について考察するとともに、ひとつの仮説について述べてみたいと思います。


■プッシュプル回路を解剖する

早速ですが、右図をみてください。これは、みなさんよくご存知の、真空管と出力トランス(OPT)を使ったプッシュプル回路です。

そして、よく、このような回路の描き方をします。つまり、2つの出力管のカソード(K)をつないでからアース(E)に落とします。出力トランスの1次巻き線の中点(センタータップ)をB電源(B+)電源につなぎます。また、B電源とアース(E)の間にはコンデンサ(C)を挿入します。

何の気なしに描いているこのような回路図ですが、この描き方では、出力段の信号の流れはうまく表現されていません。電源とアースの間に挿入されているコンデンサは、プッシュプル回路とは無関係に見えます。このコンデンサは「B電源に含まれるリプルを除去するため」だと思っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。

そこで、信号の流れがわかりやすいように、描き換えてみました。

コンデンサは、B電源とアースを交流的にショートさせていますから、交流的にみると、出力トランスのセンタータップとカソードとは、つながっていることになります。そこで、右図のように、出力トランスのセンタータップとカソードを1本の線で結んでやります。

ところで、2つの球のグリッド(G)の入力のところに、(+)とか(-)と表記しているのは、2つの入力信号の位相は互いに逆であるということを表しています。このように、プッシュプル回路は2つの入力を持ち、その入力信号の位相が互いに逆となるように、前段のどこかに「位相反転回路」があるのでしたね・・・このあたりの説明、ちょっとまわりくどいかも知れませんが、どうか我慢してお付き合いください。

なお、本稿では、説明をできるだけ簡潔なものにするために、プッシュプル回路の動作について必要最小限の記述しかしていません。プッシュプル回路の動作に関する説明は、「私のアンプ設計マニュアル」・・12.ロードラインその5 (電力増幅回路・・プッシュプル基礎編)を参照してください。

さて、もう一歩進めて右図のように描き換えてしまいます。

これでも、意味は同じですね。市販されている出力トランスの多くは、1次巻き線がこのように2つに分かれてタップ出しされていますので、私達は、2つの1次巻き線のB+側を右図のように結ぶように配線してやるわけです。このように描き換えたことで、プッシュプル回路というのは、2つの独立した球が、出力トランスのそれぞれの1次巻き線を別個に負荷として動作していることがわかります。

一方の球がいなくなっても、残った側の球は動作し続けます。そう、片側球がカットオフしている間は、カットオフした側の球は存在しないのと同じになるのでしたね。一方の球の利得が規定よりも低くても、残った球は規定どおりの利得であることに変わりはありません。また、2つある出力トランスの1次巻き線にアンバランスがあったならば、そのアンバランスは増幅作用に影響を及ぼします。

(注意:ここでは、プッシュプル回路の信号ループの本質について明らかにしたいので、バイアスのかけかたであるとか、出力トランスの直流磁化の問題といった付帯的な事象については触れませんので、ご了解ください。)

従って、プッシュプルアンプの全体の基本構成は、左図のようになります。

入力信号は、位相反転回路によって、逆の位相を持った2つの信号に分けられます。2つに「分割」された信号は、それぞれ別の球で増幅され、最終的に出力トランスで1つに「合成」されます。このように、プッシュプル回路における出力トランスは、「インピーダンス変換機能」だけでなく「逆相の信号の合成機能」をも持っているわけです。

この「合成」が正確に行われるためには、以下のようなことが満たされなければなりません。

  • 位相反転出力は、同じ信号電圧、同じ周波数特性、同じ位相特性、同じ直線性、同じ出力インピーダンス、同じ過渡特性・・でなければならない。
  • 出力管は、同じEp-IP特性(μ・gm・内部抵抗)、(μ)同じ入力・出力容量・・でなければならない。
  • 出力トランスの1次巻き線は。同じ巻き数、同じ浮遊容量、同じインダクタンス・・でなければならない。

もちろん、位相反転出力が厳密に揃っていなくても、出力管が理想的なペア(そんなものは存在しない)でなくても、そして、全く同じ特性を持った2つの1次巻き線を持った出力トランス(そんなものも存在しない)でなくとも、プッシュプル回路からはちゃんと音が出ます。

さて、ここ述べたことを整理すると右図のようになります。

ここでは、プッシュプル回路というのは、本質的に「勝手に動作をする不平衡な2つの増幅系の合成」であり、プッシュプルアンプは「1つの信号を、位相が反対の2つの不平衡信号に『分割』して、2つの増幅回路で別個に増幅し、最終的にOPTで『合成』し『インピーダンス変換』する方式」なのである、ということさえご理解いただければよいと思います。



■シングル回路を解剖する

今度は、おなじみの真空管と出力トランス(OPT)を使ったシングル回路です。

私達は、やはり、右図ような回路の描き方をします。カソードをアースに落とし、B電源とアースの間にはコンデンサを挿入します。そして、このコンデンサは「B電源に含まれるリプルを除去するため」だと理解されている場合が非常に多いのではないでしょうか。

コンデンサは、B電源とアースを交流的にショートさせていますから、交流的にみると、出力トランスのB+側とカソードとは、つながっていることになります。そして、シングルアンプでは、このコンデンサがないと信号ループが途切れてしまうのでした。

そこで、右図のように、出力トランスのB+側とカソードを1本の線で結んでやります。これが、シングル回路における信号ループです。

さきほど述べたプッシュプル回路のちょうど片側半分だけ、と考えることができます。シングル回路では、入力は1つしかありませんから、位相反転回路による信号の「分割」はありませんし、出力トランスによる2つの信号の「合成」というプロセスも必要ありません。

(注意:ここでは、シングル回路の信号ループの本質について明らかにしたいので、出力トランスの直流磁化の問題であるとか、シングル回路特有の非直線性といった付帯的な事象については触れませんので、ご了解ください。)

ここ述べたことを整理すると右図のようになります。

シングル回路というのは、プッシュプル回路と違って「単一で動作をする不平衡な1つの回路だけで成り立っている」のであり、シングルアンプは「1つの信号を、1つの増幅回路で増幅して、そのままOPTで『インピーダンス変換』する方式」である、ということになります。

シングルアンプとプッシュプルアンプとでは、このように、本質的に異なる信号伝達プロセスを持っていることに注目してください。


■全段差動プッシュプル回路を解剖する

右図が差動プッシュプル回路です。

さきほど述べたプッシュプル回路図に似ていますが、唯一、異なっている点は共通カソード側が交流的にアースされておらず、信号を通さない定電流回路が挿入されていることです。

定電流回路による信号経路の遮断があるため、差動プッシュプル回路では、電源とアースの間に挿入されているコンデンサは、プッシュプル回路の動作とは無関係になります。このコンデンサは「B電源に含まれるリプルを除去するため」としか意味を持ちません。

なお、全段差動プッシュプル・アンプがどのようなものであるかについては、6AH4GT全段差動プッシュプル・アンプおよび5極+3極SRPPドライブ6F6GT全段差動ppアンプを参照してください。

そこで、信号の流れがわかりやすいように、描き換えてみました(右図)。

B電源とアースを交流的に結んでいるコンデンサには信号は流れませんから、アースラインやB電源は信号ループからはずれます。従って、B電源につながっている出力トランスのセンタータップの存在も、信号経路から無関係になります。

この図からわかることは、2つの出力管は互いに逆さになっていて、一体となって負荷(出力トランス1次巻き線)に対して直列につながっているということです。ですから、出力管の一方がなくなってしまうと、信号ループが途切れてしまうため、音は全く出なくなってしまいます。従って、出力管がカットオフするようなAB級やB級動作をさせることができません。

そして、2つの球の2つのグリッドにまたがって1つの信号入力があります。(+)側も(-)側もアースから浮いていますが、このような信号伝送方式のことを「平衡回路」といいます。「平衡回路」では、信号はアースには流れません。

従って、全段差動プッシュプルアンプの全体の基本構成は、左図のようになります。

入力信号は、位相反転回路によって、互いに逆の位相を持った2つの信号に分けられるのではなく、1つの平衡出力に変換されるだけです。平衡出力信号は、後続の2つの出力管が一体となった平衡増幅回路によって増幅され、最終的に出力トランスで「インピーダンス変換」されます。このように、差動プッシュプル回路における出力トランスは、「インピーダンス変換機能」だけしか持たず「逆相の信号の合成機能」はありません。

信号の「分割・合成」が行われないわけですから、プッシュプル回路で問題になったような条件は、以下のように変化します。

  • 位相反転出力(平衡出力)は、同じ信号電圧、同じ周波数特性、同じ位相特性、同じ直線性、同じ出力インピーダンス、同じ過渡特性・・でなければならないということの意味がなくなる。
  • 出力管は、同じEp-IP特性(μ・gm・内部抵抗)、同じ入力・出力容量・・でなくともよい。
  • 出力トランスの1次巻き線は。同じ巻き数、同じ浮遊容量、同じインダクタンス・・でなければならない必要はない。

さて、ここ述べたことを整理すると右図のようになります。

差動プッシュプル回路というのは、2つの出力管が一体となって動作する(一体となってしか動作できない)、本質的に「平衡な単一の増幅系」であり、全段差動プッシュプルアンプは「1つの信号を、平衡信号に『変換』して、1つの平衡増幅回路で増幅し、最終的にOPTで『インピーダンス変換』のみ行う方式」なのである、というになります。

差動プッシュプル回路というものが、見かけはいわゆるプッシュプル回路に非常に良く似ているにもかかわらず、動作の本質は根本的に異なるものである、ということがご理解いただけたでしょうか。


■まとめ

ここで説明した3つの回路方式「プッシュプル回路」「シングル回路」「差動プッシュプル回路」の違いをひとことで表現すると、
  • シングル回路: 1つの不平衡増幅
  • プッシュプル回路: 位相反転で分割→2つの不平衡増幅→OPTで合成
  • 差動プッシュプル回路: 1つの平衡増幅
という風になり、これを表にまとめると以下のようになります。

ご覧のとおりです。回路の見かけとは反対に、増幅プロセスの本質についてみると「差動プッシュプル回路」は「シングル回路」に非常に良く似ていることがわかります。今度は、それぞれの回路方式における優劣について考えてみます。

低域特性

シングル回路の弱点のひとつに、出力トランスの直流磁化による磁気飽和と1次インダクタンスの減少の問題があります。そのため、シングル回路では、帯域を10Hz以下に伸ばすことが困難であるばかりでなく、たとえ、負帰還によって帯域を10Hzまでフラットにできたとしても、それは小出力の場合だけであって、最大出力ではやはり著しい特性劣化が生じます。プッシュプル回路では、2つの1次巻き線に直流磁化を打ち消すような逆の電流を流すことが可能ですから、シングル回路とは比較にならないくらい優れた低域特性が、大出力領域でも実現できます。差動プッシュプル回路においても、このメリットを得ることができます。
  • シングル回路: ×
  • プッシュプル回路: ○
  • 差動プッシュプル回路: ○

歪み率特性

プッシュプル回路では、2次歪みの原因となる出力管の非直線性は、互いに補い合うため、本質的に2次歪みは発生しません。また、片側球がカットオフ領域近くになった時に生じる非直線性も、もう一方の球のプレート電流を増加させることによって相当に補うことができるため、3次歪みもかなり小さくできます。シングル回路では、出力管の非直線性による歪みはそのまま出力に現れてしまいますので、一般に直線性が優れているといわれている直熱3極管といえども、2次歪みが発生します。差動プッシュプル回路では、本質的に2次歪みは発生しないという点では、プッシュプル回路と同じですが、3次歪みの発生を打ち消すことができませんので、プッシュプル回路と比較するとかなり多目の3次歪みが発生します。
  • シングル回路: △
  • プッシュプル回路: ◎
  • 差動プッシュプル回路: ○

最大出力

シングル回路では、出力管のプレート損失(無信号時のIp×Ep)の1/2が理論上の上限で、実際には、プレート損失の25%〜40%くらいになります。プッシュプル回路では、A級動作でもシングル回路の時の2倍以上、AB級では3倍〜5倍もの出力が得られます。差動プッシュプル回路では、シングル回路の時の1.5倍〜2倍程度になります。これまで、電圧増幅段の差動化の話題は多くみられましたが、出力段の差動化がほとんど見向きもされなかった最大の理由は、この最大出力の低さではないでしょうか。
  • シングル回路: △
  • プッシュプル回路: ◎
  • 差動プッシュプル回路: ○ (電力効率は△)

■仮説

「全段差動プッシュプル・アンプ」の音が「プッシュプルなのにいわゆるプッシュプルの音ではない」「プッシュプルなのにシングルみたいな音がする」と感じられる理由について、その真相はまだわかっていません。しかし、これまで述べたように、シングルアンプと全段差動プッシュプルアンプとはその伝送系の構造に似た点が多く発見されるのに対して、プッシュプルアンプは、多くの点で異なっています。

プッシュプルアンプは、低域特性においては、シングルアンプに対して圧倒的な優位性を誇りますが、それでもなおシングルアンプを支持する方の多い理由は何なのでしょうか。「超3回路」と呼ばれる回路があります。これは、シングル回路にもかかわらず、シングル回路の持つ低域特性の弱点を相当に克服することができるすぐれた回路ですが、このアンプの音は非常に高い評価を得ています。低域特性が改善されたシングルアンプというのは、決してあなどれないということです。

かなり以前から、プッシュプルアンプの評価が2分される現象がみられます。曰く「プッシュプルアンプは音の座りが悪い」、曰く「プッシュプルアンプは定位がビシッと決まりにくい」と。言葉にはならなくても、プッシュプルアンプの音が好きになれないという声をよく聞きます。シングルアンプが持つ欠点は、非常に明確で理論的にも説明が可能なものが多いのですが、プッシュプルアンプでは、シングルアンプで問題となった欠点のほとんどが克服されてしまっていますので、これまで、プッシュプルアンプの問題点はあまり議論されませんでした。

アンプの優劣を論じる時、部品や真空管の型番や銘柄、段間やカソード回路等に存在するコンデンサの数、整流方式、整流管や整流ダイオードの型番や銘柄、負帰還の方式や多寡や有無、周波数特性、ダンピングファクタや歪みの質や出方、過渡応答特性といったさまざまな観点から問題が指摘され、多くの方々によって実験や工夫がなされてきました。しかし、本稿で述べたような、伝送系の構造のシンプルさ、複雑さや、逆相信号の分割・増幅・合成という視点からはあまり議論されたことがないように思います。

私は、このページにおいて、プッシュプルアンプが持つ「1つの信号を、位相が反対の2つの不平衡信号に『分割』して、2つの増幅回路で独立して増幅して、最終的にOPTで『合成』する」という複雑なプロセスについて言及しました。もし、仮に、このプロセスがプッシュプルアンプの弱点であるとするならば、2つの増幅系が並列となって負荷を合成駆動する方式についてもあてはまるかもしれません。並列合成駆動は、パワーや迫力は得られますが何故か音楽のソノリティがうまく伝わってきません。たとえば、アンサンブルの内声部が迫力の陰に隠れてしまうのです。これは音楽に関わる者にとっては致命的な弱点です※。私の作例にパラレル接続がほとんどないのも同じ理由からです。私が自分のアンプにSEPPやCSPPいずれでもない差動PPを選んだのも、この方式がプッシュプルで唯一1つの増幅系で成り立っている構造だったからです。

※音響エンジニアの赤川さん(故人)も、ウィーン・フィルのヘーデンボルク直樹氏も、これだけは譲れないと言います。

木村 哲
2000.2.13(作成)
2000.2.15, 2019.7.15(加筆・修正)


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