私のアンプ設計マニュアル / 基礎・応用編
測定器その6 (歪み率の測定)
<はじめに>

オーディオ・アンプを自作するとその特性を知りたくなります。10Hz〜500kHz(あるいは1MHz)くらいの帯域で周波数特性を測定するには数万円程度の投資で可能ですし、その機材があれば利得やダンピングファクタなど結構いろいろなデータが取れます。しかし、歪み率を測定するためには、まず被測定アンプよりもはるかに低歪の発振器とちょっと変わった特性の専用のフィルタが必要で、投資金額が跳ね上がります。道楽とは道を楽しむと書きますが、楽しさのあまりにこんな測定機材に大枚はたいてしまうというのが自作ファンの常ではないかと思います。ですから、一応、ここで警告を発しておきます。歪み率測定用の専門的な機材に手をだすと、そこから先、止まらなくなりますよ!


<歪み率性測定の目的>

オーディオ・アンプの性能を表わす指標としてよく話題になるのが歪み率です。一般論としては「歪み率」は低いほど良いことになっていますが、測定の場面では考え方はその逆でどれくらい歪んでいるかを調べる、という意図が働きます。低い数字を得て喜んでいる場合ではない、ということでしょうか。

目的特徴
総合的な仕上がりを調べる記事やブログで公表するための歪み率特性データ。
1kHzは必須で、多くの場合100Hzと10kHzの3つの周波数で測定する。
全体のカーブから、雑音性能と歪みの傾向と最大出力がわかる。
基礎データを取得する部品そのものの固有の歪みの有無や特性を把握する。
実験回路や試作機において、内部的な特性を把握する。
歪みの種類を調べる歪み波形は複数の高調波成分によって成り立っているので、高調波成分の分解してその大きさを把握する。
歪みの成分によって発生原因が違うため、それらを把握することで回路の弱点をみつける。
条件を変えて測定する負荷インピーダンスを変化させる、アイドリング電流を変化させる、増幅素子を入れ替える等々。
回路を最適化するためのさまざまな工夫。
雑音性能を調べる歪み率測定の副産物として雑音性能が得られる。


<歪み率測定の原理>

歪み率測定の原理は簡単で、被測定アンプに歪みのない(たとえば)1kHzのサイン波を入力し、被測定アンプの出力側の信号電圧を1とおきます。その信号から、急峻なフィルタを使って基本波(この場合は1kHz)の成分だけをカットしてやります。もし、被測定アンプが2次歪みや2次以上の高次歪みを発生させていると、出力信号には1kHzだけでなく、若干の2kHz、3kHz、4kHz〜の信号も含んでいるので、基本波をカットした信号電圧を測定して、さきに測定した出力信号電圧との比を百分率で表わした値がすなわち歪み率となります。

下図は本サイトの「ありあわせ機材でつくる歪み率計」のページに掲載したダイアグラムでが、歪み率測定の基本そのままの構成になっています。

この歪み率計を使った測定手順は以下のとおりです。まず手持ちの発振器(Leader LAG-120B)から、周波数が1kHz(または100Hz、10kHz)の正弦波を被測定アンプに送り込みます。被測定アンプの出力側にはアッテネータやフィルタやミリボルトメーター(電子電圧計)が続きます。アッテネータは、フィルタ部に入力される信号電圧を一定にするためのものです。フィルタは基本波を除去しますので、出力されるのは高調波およびノイズです。これを測定すればそのまま歪み率となります。

フィルタには特別な能力が要求されていて、基本波の2倍以上の周波数(つまり2次歪み、3次歪み・・・の原因となる高調波)はちゃんと通すのに、基本波だけは1/1000(-60dB)以下に減衰できなければなりません。基本波を1/1000(-60dB)に減衰した時のこのフィルタの測定限界は0.1%ですから、0.001%まで測定したい場合は1/100000(-100dB)の減衰ができるフィルタが必要です。このような鋭いフィルタ特性は、普通のオーディオ回路で使われているフィルタでは全く話になりませんので、負帰還を使って谷を急峻にしたアクティブ・フィルタを使います。右上図は自作したフィルタの特性です。フィルタ特性としては少々甘いですが、これでも0.02%くらいまで測定できるものができました。


<歪み率測定環境および条件>

歪み率の測定では、基本波に対する高調波の大きさを主に測定しますが、測定される信号には高調波以外に雑音も含まれています。その雑音にも3種類あって、(1)発振器から生じている雑音および発振器を出て被測定アンプに入力されるまでに入り込んだ雑音、(2)被測定アンプが発生させた雑音、(3)被測定アンプを出てから歪み率測定装置までの間に入り込んだ雑音および歪み率測定装置で生じた雑音です。

ある時、製作したオーディオアンプの歪み率を測定していたら、不可解なカーブを描いた結果が得られて慌てたことがあります。その原因は、被測定アンプのすぐそばにあったノートパソコンから放射されたデジタル・ノイズでした。いくら優秀な測定器を持っていても、測定環境で雑音が割り込むことがあるわけです。

(2)の被測定アンプが発生させた雑音は不可避的なもので、これを高調波と分離することはできません。割り切ればある程度は可能ですが、そのようにして得たデータは一般的な信頼性がありません。たとえば、1KHzを使って歪み率を測定する場合、1kHz以下の信号は不要ですから1kHzより下をバッサリ切ってしまえばハムによる影響はなくなります。こうして測定した歪み率特性は、夢のような低歪み特性になることがありますが、はたして使い物になるかというと駄目でしょう。1kHzにおける測定ではハムが切られているのに、100Hzにおける測定ではハムの3次以上の高調波がドッサリ残った数字になっている(右下画像)、という風に測定する周波数ごとに含まれる雑音帯域が変わってしまうというおかしなことになります。

また、ハムが50/60Hzあるいは100/120Hzでおしまいかと言うとそんなことはありません。電源の残留リプル由来の波形は一種の三角波なので思っている以上に多量の高次高調波を含みます。左上画像は50Hzをブリッジ整流した場合の電源に含まれる残留リプルを分析したものですが、1kHz以上の勢力も馬鹿にできません。そのため1kHzから下を切ってしまうと、高次高調波が中途半端に置き去りになって測定結果の信頼性を損ねます。そういったさまざまな事情から、一般に歪み率特性とは雑音歪み率特性をさして表示する慣行があります。標準的な条件を揃えて測定しないと判断を誤ることになります。

そこで、歪み率の測定では「混ざっている雑音や高調波成分の量を揃える」、「帯域を揃える」ということが重要になってきます。オーディオ測定器の世界標準といわれるAudio Precisionや、これまで多くの企業で使われてきたHPやPanasonic、目黒電波測器といった標準的なオーディオ・アナライザには必ず80kHzや20kHzのロー・パス・フィルタが装備されています。一般的にはこの80kHzのLPFをONにした状態で測定するのがいいでしょう。もちろん、測定結果には「帯域=80kHz」と明記します。20kHzで切ってしまうと10kHzにおける3次以上の高調波が消えてしまうので、1kHzよりも良すぎる数字が出てしまいます。また、ハム除去を対象としたHPFを使用した場合はその旨明記しておかないとデータを見る人を騙すことになりかねません。

歪み率というのは、あるレベルよりの低い領域では信号レベルに応じて直線的にどんどん低くなるという数学的性質があるので、一定の値以下の領域では雑音でマスクされようがされまいがその値は自明なので、ノイズでマスクされても困ることはありません。もっとも、ノイズが非常に多くて歪み率の様子がさっぱりわからないようなひどいアンプなら少しでもノイズをどけてやらないとまずいのかもしれませんが、歪みを云々する前にすることがあるでしょう。


<オーディオ・アナライザ>

歪み率の測定を手動で行のは非常に手間がかかるので、業務で使用する測定装置はすくなからず自動化されて、手動部分についてもいろいろと工夫がなされています。このような装置を一般に「自動歪み率計」とか「オーディオ・アナライザ」と呼びます。歪み率の測定には、低歪み発振器、フィルタ、高感度電子電圧計、周波数カウンタなどが必要ですが、これらを組み合わせて応用すれば歪み率だけでなく、利得、S/N比、周波数特性なども測定可能になります。これらを1台の装置として総合的にまとめたのがオーディオ・アナライザです。

オーディオ・アナライザははなはだ高価な装置で、最低でも60万円くらい、ちょっといいものになると百数十万円します。こんなものをアマチュアが買うことはできませんが、リース落ちの中古ならば十万円台で入手可能です。オークションではもっと安く手にはいりますが、ほとんどの出品が「確認は通電のみ」なので非常に危険です。私は、中古の場合でも実機を動作させて自己歪を測定し、どの程度の能力があるか確認してから購入しますが、店頭で値札がついて展示されているものでも所定のスペックがちゃんと出なかったり思わぬ不具合が見つかったりします。何台もみせてもらうと性能にもかなりの差があり、カタログスペックよりも良い数字を出す個体に出会えることもあります。

オーディオ・アナライザのメーカーには、Audio Precision、HP(現Agilent Technologies)、目黒電波測器テクシオ(旧KENWOOD)、松下電器(現パナソニック・モバイル・ソリューションズ)などが知られています。今ではAudio Precisionが世界標準のようになってきており、他社はどんどん撤退しています。松下電器の製品は大量に出回っていますが、パナソニック・モバイルは業務から手を引いているため、校正・修理はもうやりません※。Agilent、目黒、テクシオは現行品があります。

※パナソニック・モバイルから、PanasonicブランドAV計測器に関する技術援助契約を受けた中国大連の遼無二電器有限公司は、levearブランドAV計測器として販売を開始した。日本での取扱いはトム通信工業

HP 8903A/B・・・現Agilent(旧HP)の名機です(左上画像)。状態の良いものでも歪み率の測定限界は0.003%どまりなので、真空管アンプならばこれで充分ですが、半導体アンプではちょっと足りない気がします。筐体は巨大で奥行きが深く、大変な重量があります。机の上の置こうものなら作業スペースがなくなります。内臓カウンタによってフィルタ周波数は自動同調しますので、外部の発振器の信号を入力してもかまいません。旧8903は、U8903として生まれ変わって現行品となっています(140万円もしますが・・・)。旧8903シリーズはAgilentのサポートサイトでマニュアルが入手可能です。校正はまだやってくれますが、修理は終了しており内容次第だそうです。

Panasonic VP-7720A、VP-7721A・・・ポピュラーで数も多い普及機です(右上画像)。7720Aと7721Aの違いは、7721Aの方はバランス入力があることです。1kHzでは0.001%を割る分解能を持ちますが、手動部分が多く測定時の反応もトロイのと、アナログ・メーター特有の機械誤差が欠点です。カウンタを内臓しておらず、フィルタ特性は設定した発振周波数と連動しているため、外部の発振器を使う場合は手動同調しなければなりません。校正・修理は終了しています。

Panasonic VP-7723A/B/D・・・デジタル表示化し、カウンタを内蔵するなどVP-7721Aの欠点をほぼ解消した非常に使いやすいものになっています。測定限界はVP-7721Aとあまり変わりませんが、操作性、測定精度ともに格段に優れています。BタイプとDタイプは機能は全く同じで、違うのはBが日本製であるのに対してDが中国製である点だけです。カタログスペックは共通ですが、実機を使ってみるとB(日本製)はカタログスペックをかなり上回る実力をみせますが、D(中国製)はカタログスペックぎりぎり合格なものが目立ちます。校正・修理は終了しています。現在は中国のLevearブランドとして製造・販売されており、Panasonicに準ずる品質は出ているようです。

Panasonic VP-7722A・・・VP-7723シリーズよりも一世代古いですが性能的にはVP-7723を上回り、より低歪みまで測定できます。但し、古いがゆえの内蔵バッテリーの劣化リスクがあります。

目黒電波測器 MAK-6581・・・VP-7720Aとほぼ同格の普及機です。VP-7720Aの左右を逆にしたようなメーター配置で、機能もほぼ同等です。測定速度はVP-7720Aよりも少し速いのが○です。販売終了が2005年9月なので、まだサポートはあるんではないかと思います。現行機種はMAK-6630です。

オーディオアナライザをオークションで落札する場合は添付されている画像に注意します。

右の画像はある方の出品画像ですが、オシレータ出力と測定入力をケーブルでつないで正しく歪み率測定モードで自己歪み率を測定表示させています。この場合ですと、100Hzの2V出力に設定しており(表示は実測値なので若干ずれる)、自己歪み率は0.0004%ですからVP7723としては上等だといえます。出品者が使い方をわかっているので変なものをつかまされる可能性が非常に低くなります。少々値が張ってもこのような確実なものを選びましょう。ちゃんと動作するいいものが手に入ったら、買った値段などどうでもよくなるものです。しかし、変なものをつかんでしまったら、どんなに安くてもいつまでも悔しいでしょう?

「よくわからないので、通電確認のみです」という出品の場合は避けた方がいいでしょう。「よくわかっているのに、わからないふりをしている」というのが大半だからです。実は私は過去に動作不良のオーディオジェネレータを「正確にどんな不良であるか」記述してオークションに出したことがありますが、それを購入した方が「不良を隠して、通電OK」とだけ書いて出品しているのを知っています。通電のみというのに手を出してはいけません。

なお、オーディオアナライザはかなりのベテランでも自分で修理することは不可能だと思ってください。中を開けてみてその複雑にぎっしり詰まった様子をみたらわかると思います。それから、奥行きが50cmくらい必要でかつ非常に重いので、普通の机に載せると作業スペースがなくなります。置き場所の確保もお忘れなく。


<PCを使って廉価に>

実は、オーディオアナライザなどという高価な装置を使わなくても、パソコンがあればそれなりの精度で歪み率を測定できます。0.00?%のオーダーで。これを行うには以下の道具が必要です。

・WindowsPC
・信号源: WaveGene(フリーソフト)
・測定ソフト: WaveSpectra(フリーソフト)
USBオーディオ・インターフェース
いかがでしょう、PCとUSBオーディオインターフェースを持っているなら、あとはほとんど只みたいなものではないでしょうか。

右の画像は測定時の様子です。PC内で発生させた1kHzの正弦波をじかに読み込ませているため、歪み率(THD)の表示は0.00008%とあります。実機の測定では0.0?%とか0.00?%くらいになりますが、このソフトを使えばかなりの低歪みの測定ができることがわかります。ちなみに、この正弦波を発生させたソフトはWaveGeneといいます。

WaveSpectraおよびWaveGeneは、当サイトの掲示板にも時々書き込みされるefuさん作の有名なフリーソフトで、プロにみなさんも愛用されている優れたオーディオ・ツールです。WaveSpectraはオーディオ波形を分析して精密に高調波に分解することができるので、その結果をちょっと計算するだけで歪み率が得られてしまうのです。そのへんの詳しい説明はこちらにありますのでお読みください。

オーディオ・アンプの歪み率を測定するには、実機にできるだけ歪みのない正弦波信号を入力しなければなりません。一般のオーディオ・ジェネレータやファンクション・ジェネレータの残留歪みは0.01%〜0.1%くらいですので、これではWaveSpectraが泣きます。(工事中)

WaveSpectraがすごいのは、歪み率の表示はそのごく一部の機能にすぎず、波形をオシロスコープのように目で見せてくれたり、歪みを構成する高調波成分を正確に画き出してくれるという素晴らしい機能を持っていることです。音楽ソースを入力すると周波数帯域スペクトラムを見ることができます。

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