PHONOイコライザが出揃ったので、いよいよMCカートリッジ用のヘッドアンプです。大袈裟なことをせず、パラレル接続に頼ることなく、最小限のシンプルさで静かで音が良いMCヘッドアンプが誰でも作れることを目標にしています。試作機をベースに何度かチューニングを行い、ようやく実際に我が家のオーディオシステムに投入してみて十分に実用レベルであることが確認できました。
MCカートリッジにはさまざまな種類があり、出力電圧だけみてもかなりの幅があります。現行品で入手しやすいものというと、DENON DL-103、ortofon MC-QシリーズおよびSPUシリーズ、audio-technica AT-Fシリーズあたりでしょう。これらの出力電圧を調べてみると、低いもので0.2mV、最も多いのが0.3mV〜0.4mV、高めのもので0.5mVです。私は長年DENON DL-103を愛用していますが、DL-103は個体ごとに実測データシートがついてきます。下の2つの画像はともに現在使用中のもので、0.36mV〜0.37mV(1kΩ負荷時)とあります。記憶をたぐると過去には0.4mVのものもありました。興味深いのは周波数特性に個体差があり結構ばらつきがあるということです。なお、製造時期が異なるためか記録用紙が異なっています。MCヘッドアンプの利得は、10倍〜12倍くらいに設定しておくと3mV〜6mVの範囲になるので一般的なMMカートリッジの出力電圧と揃えることができます。利得が低すぎると音量不足になりますし、高すぎるとPHONOイコライザアンプの許容入力の制限にひっかかってしまいます。
本機の利得は「12倍」とします。
入力インピーダンスをどうするかですが、MCヘッドアンプの入力インピーダンス(=MCカートリッジの負荷インピーダンス)はMMカートリッジのような標準的な規格(50kΩ)がありません。市販のMCヘッドアンプを調べてみると100Ωというのが多いようです。MMカートリッジは与える負荷インピーダンスによって高域にピークができたり大きく減衰したりしますが、MCカートリッジはそのような癖がほとんどありません。
いまいちどDL-103についてくるデータシートを見てみましょう。1kΩ負荷で測定して0.36mV〜0.37mVとなっています。DL-103の巻き線抵抗は40Ωですから、逆算すると無負荷の起電力は0.374mV〜0.385mVになります。このカートリッジの出力を100Ωで受けると約0.27mVとなり、150Ωで受けると0.3mV、470Ωで受けると約0.35mVとなって負荷インピーダンスが高い方が2dBほどS/N的に有利になります。DL-103を47kΩという極端に高いインピーダンスで受ける実験をしたことがありますが、MMカートリッジで生じるような周波数特性の変化は生じることはなくフラットネスが維持されていました。
というわけで、本機では市販のMCヘッドアンプよりはかなり高め、DENONの測定条件よりは低い「470Ω」とします。
<全回路図>
2018.8.11現在の本機の全回路は以下のとおりです。オーディオアンプは、トランジスタがゾロゾロとたくさんついている方がなんとなく有難味があるというか高級感があるものですが、本機はなんともあっけないくらい簡素な回路です。<アンプ部>(説明を簡略化するために電圧表記からマイナス符号を省略しています))
基本回路のルーツの解説はこちらです。→http://www.op316.com/tubes/vinyl/mc-tr-1978story.htm初段がPNPトランジスタで2段目がNPNトランジスタによるシンプルな2段直結DC帰還アンプです。この回路の良い点は、2段目の負荷抵抗と負帰還回路が一体となっているため、初段からみたエミッタ抵抗の値を無理をすることなくそこそこ小さくできることです。
世のMCヘッドアンプのほとんどすべてが、初段を4個以上のパラレル接続として低雑音化を図っているのに対して本機はパラレルではなくたった1個のトランジスタで構成しています。部品をけちったとか、簡易版のつもりで後日パラレル版を作ろうとしたわけではなく、これが意図した構成でありベストだと考える最終形です。この解説でもすこし触れていますが、パラレル接続にして音がよくなったことがないのがその理由です。
この回路のDCバランスは、初段ベースに与えるバイアス電圧(1.14V)が基点となり、続いて初段トランジスタのベース〜エミッタ間電圧(0.57V)、そして負帰還を構成している120Ωと1.3kΩの関係で決定されます。初段トランジスタのエミッタに直結した120Ωにかかる電圧が0.57Vになるので、120Ωに流れる電流は、0.57V÷0.12kΩ=4.75mAです。初段のコレクタ電流は、0.635V÷1.3kΩ=0.488mAに2SC2240のベース電流を足した0.497mAです。4.75mAから0.497mAを引けば1.3kΩ側の電流(4.25mA)が求まり、2SC2240のコレクタ電圧が-6.1Vになるわけです。
初段ベースに与えるバイアス電圧(1.14V)の元を作っているのが1S2076Aと6.2kΩと100kΩで、ここには110μAを流しています。1S2076Aに110μAを流すと0.485Vの順電圧が生じ、6.2kΩと100kΩのつなぎ目の電圧は1.17Vになります。2SA950のコレクタ電流は約500μAでhFEが330だとするとベース電流は1.5μAです。これが22kΩを流れますから約0.03Vの電圧降下が生じるため、2SA950のベース電圧は1.14Vとなるわけです。 初段トランジスタのベース〜エミッタ間電圧は温度依存性があるので、これを補償して動作を安定するために初段ベースに基準電圧を与える回路に温度補償ダイオード(1S2076A)を入れてあり、温度変化が生じても互いに打ち消しあうため2段目の動作を決定づけている2SA950のエミッタ電圧は温度の影響を受けることなく0.57Vを維持し続けます。
初期の設計では初段のコレクタ電流は0.325mAで2段目は2.95mAだったのですが、チューニングをした結果、初段のコレクタ電流は0.497mAで、2段目のコレクタ電流は4.25mAとなりました。2段目のエミッタに入れた4.7Ωの値も試行錯誤の結果です。雑音が少なくなる条件と、歪み率が低下する条件と、(私からみて)好ましい音のバランスになる条件を互いに相談したらこんな動作になりました。裸利得は約750倍で、仕上り利得は11.6倍になります。
<使用したトランジスタ>
MCヘッドアンプは音の良さに加えて低雑音性能が重要ですので、初段にどんなトランジスタを持ってくるかが設計のポイントになります。PNPトランジスタとNPNトランジスタを比べると、PNP型の方が低雑音性能が優れています。さまざまなトランジスタの雑音性能を調べてのがこちらのレポートです。トランジスタ雑音実測データ(http://www.op316.com/tubes/datalib/tr-noise.htm)
低雑音性能が優れているのは、電流容量が大きいタイプのPNPトランジスタに多くみることができます。その中でも、低雑音性能と高いhFEを兼ね備えた小型トランジスタのひとつに2SA950があります。オーディオアンプの作例記事で扱われることがほとんどない無名ともいえるトランジスタですが、かなりの手持ちがあることもあって本機に採用してみることにします。使用したのは2SA950-Yランクで、hFEは実測で240〜340です。2段目は高hFEのNPNトランジスタが望ましいので2SC2240-BLを採用しました。
ところで、ちょっと不思議なのは2SA950のhFE値です。東芝のデータシートによると、2SA950のhFEのランク分けはOランクが100〜200、Yランクが160〜320となっていてそれ以上のランク(GRやBL)はありません。
2SA950はベース〜エミッタ間電圧が低いトランジスタなので、2SA950以外のものを使う場合はベース〜エミッタ間電圧が高めになります。その場合、2段目のコレクタ電圧が最適値(-6V〜-7V)よりも低くなるので、バイアスを決定している抵抗(6.2kΩ)の値を6.8kΩに変更します。2SC2240を別のトランジスタの変更する場合は、hFEが高い方が望ましいことを除けば、変更に伴う調整は不要です。
<雑音を考慮したアンプ部の設計>
トランジスタアンプの雑音には、大別して(1)信号源が出す雑音と(2)トランジスタ自身が出す雑音と(3)周辺の回路部品が出す雑音の3つがあります。加えて、(4)外部からの雑音があります。(1)信号源すなわちMCカートリッジが出す固有の雑音は、たとえば巻き線抵抗値が40ΩのDENON DL-103の場合は0.1μV強(帯域20kHz)あり、これは制御不能です。(2)トランジスタ自身が出す雑音は、そもそも雑音が少ないトランジスタを選んで採用することと、雑音が少なくなるようトランジスタの動作条件を与えることの2つで決まります。代表的なものがコレクタ電流およびベース電流の大きさと信号源インピーダンスです。選択肢として初段のトランジスタを複数個パラレルにするという方法もあります。理論上は、雑音はパラレルにした個数の平方根分の1に減ります。2個パラレルならば1/1.414になり、4個パラレルならば1/2に減るわけです。
一般にMCヘッドアンプではパラレル作戦を使うが普通で、私の過去の作例でもよく採用しました。しかし、増幅素子をパラレルにする回路には確実に雑音減らすことができるというメリットがある一方で音質的なデメリットがあります。この問題について今ここで多くを語るつもりはありませんが(いつかどこかで触れたいと思っています)、まずはパラレルにしないでどこまでやれるか、どの程度実用レベルの低雑音性能が出せるかチャレンジしたのが本機です。
(3)周辺の回路部品のうち最もインパクトが大きいのは、入力と直列に入る抵抗と初段のエミッタ抵抗です。初段を差動回路とした場合は、差動回路の反対側のベース抵抗がこれにあたります。これらの抵抗から発生した雑音はそのままアンプに入力されることになるため、これを嫌ってエミッタ抵抗を完全になくしてじかに接地して無帰還アンプにするか、負帰還抵抗値を限りなくゼロΩに近づけることになります。負帰還抵抗値を小さくするためには、重い負荷に耐えるために終段にSEPP回路などを追加する必要があります。
本機は負帰還を前提とした設計なので、負帰還回路の抵抗値を低く抑える必要があります。しかし回路を複雑にしたくないので、終段にSEPP回路などをつけない方向で模索した結果、「2段目負荷抵抗=負帰還抵抗」を兼ねる回路方式になりました。抵抗の組み合わせとして「1.3kΩ+120Ω」を選びましたが、この120Ωが最も大きな雑音を出します。
(4)外部からの雑音の対策は、回路設計よりも実装がモノを言いますので製作のところで触れることにします。
<電源部>
DC24VのACアダプタを使いました。16Vのツェナダイオードによる超簡単シャント型の定電圧回路で安定した16Vを得てから、2段のCRフィルタを経て左右チャネルに約12Vを供給しています。電源由来のノイズ源としては、ACアダプタが出すスイッチング・ノイズとツェナダイオードが発するノイズがあります。こんな簡単な回路ですがいずれのノイズもきれいにカットされて測定限界以下、アンプの特性に影響が出ないレベルまで除去されます。
記事を独立させました。
2SA950-Y・・・Yランクの2SA950のhFEは250以上のものを選別しました。2SA970-BLや2SA1680も使えます。2SC2240-BL・・・hFEが450以上のものを選別しています。なお、hFEが450以下であっても使えないわけではなく、hFE値が低くなるにつれて歪みが微増するのでWebで公開しているスペックが出ないだけであり、それでも十分に低歪みですから耳で聞いてわかるような話ではありません。
ツェナダイオード・・・16Vタイプのツェナダイオード(ルネサス HZ-16-2)を使っています。16V〜16.5Vが得られるのであれば品種は問いません。
コンデンサ・・・アルミ電解コンデンサは通常品を使いました。入力のコンデンサですが、40年前は良質なアルミ電解コンデンサがなかったのでショート事故のリスクを承知でタンタル電解コンデンサを使っていましたが、今では安心して普通のアルミ電解コンデンサが使えるようになりました。出力のコンデンサは大きさの都合で1μFのフィルムコンデンサを2個並列にしています。このコンデンサはPHONOイコライザの入力インピーダンス(約50kΩ)と150kΩとで超低域をカットするHPFの機能を持たせています。アルミ電解コンデンサはHPFなどの時定数回路には適さないので使えません。アルミ電解コンデンサは漏れ電流が生じるので、この理由でも出力のところには使えません。位相補正用の56pFは印加する電圧によって容量が変動しないRPタイプの積層セラミックコンデンサです。
抵抗器・・・1/4W金属皮膜抵抗器を推奨します。
ユニバーサル基板・・・当サイトではおなじみのタカス製IC-301-72です。
ツマミ・・・直径としては頒布している「K100-16」が適しますが、ロータリースイッチは軸の部分がパネル面からかなり出っ張るため懐がないK100-16では見苦しくなります。直径が大きい「K100-22」ならば懐が深いので大丈夫ですが後面パネルは狭いのでやや手狭感があります。小型のツマミは現在適当なものを検討中です。なお作例についているツマミは製造中止のため頒布していません。
参考:右の画像はLEX製のB-15(直径12mm)とB-20(直径16mm)です。懐が2mmあるのでK100-16よりは深く入りますがそれでもパネル面から浮きます。後面で目立たないから気にしないというのであればどうぞ。秋葉原や通販サイトで扱っています。なお、このツマミは2018年11月に製造中止になります。パネル面に揃える場合は、ロータリースイッチ自体をパネル面から引っ込める工夫が必要です。
ケース・・・タカチ HEN-110412Sです。(頒布はありません)
ACアダプタ・・・秋月などで普通に売られているDC24V/0.5Aタイプです。(頒布はありません)
◆部品頒布のご案内はこちら。→ http://www.op316.com/tubes/buhin/buhin.htm
<基板パターン>
本機は以下の基板パターンで製作しました。バイパス(MM〜MC切り替え)スイッチ:
6回路2接点のロータリースイッチを使い、入力側は2回路ずつパラレルにして接触抵抗の影響が少なくなるように配慮しています。採用したALPS製のSRRMタイプのロータリースイッチの接触抵抗は初期値が20mΩMAXで、寿命後値が60mΩMAXです。インピーダンスが数十ΩオーダーのMCカートリッジにとってわずかな接触抵抗も無視できないので、パラレルにつないで接触抵抗を下げ、信頼性を高めてやります。アースの引き回しと配線のポイント:
(1)入力側・・・入力側のRCAジャックは後面パネルにじか付けして電気的に導通させ、この場所でシャーシ・アースを取ります。入力のところのアース端子(GND)はRCAジャックのアース側につなぎ、ここと基板のアース(GND-inと記載)をつなぎます。
(2)出力側・・・出力側のRCAジャックは絶縁して後面パネルに取り付け、RCAジャックのアース側と基板のアース(GND-outと記載)をつなぎます。
(3)左右の入力信号ライン、左右の出力信号ラインそれぞれはアースラインと近づけて配線します。信号ラインとアースラインが離れるとハムを拾いやすくなります。
(4)信号ライン、アースおよびロータリースイッチまわりの配線は短くコンパクトにまとめます。無駄に長いと、長くなった分だけハムを拾いやすくなります。シールド線によるノイズ低減効果はありません。注意1:注意:作例では余りモノのジョンソンターミナルがついています。
注意2:作例では電源スイッチにスパークキラーがついていますが小電流のため不要です。
注意3:基板についているCR類は手持ち品の再利用なので頒布とは異なるものがあります。
特性の測定結果は以下のとおりです。
入力インピーダンス: 470Ω。作ってみたら5MHz超の広帯域フラットアンプになってしまったので、2段目のC-B間に56pFを追加して以下の特性になりましたがもう少し狭くしたいところです。
利得: 11.6倍(47kΩ負荷、1kHz)。
残留雑音: 6.8μV(帯域80kHz)、4.0μV(帯域20kHz)・・・測定系の雑音1.5μV〜2μVを含む。
消費電力: DC24V、19mA。入力インピーダンスが47kΩのPHONOイコライザをつないだ時に2Hz以下の超低域がある程度切れるように回路定数を選んであります。
1kHzにおける歪み率特性です。
帯域を80kHzで切った場合と20kHzで切った場合を比較してみました。もっとも実際の使用ではRIAAイコライザを通すので、聴感上は雑音を表す左上がりの直線は青線よりもさらに下がります。
100Hz、1kHz、10kHzの3つの周波数で歪み率を取ってみました(帯域は80kHz)。各周波数がきれいに重なって差はほとんどありません。周波数が異なっても負帰還量が一定であり、無帰還時の帯域が広いことがわかります。
DL-103をつないだ場合、カートリッジの出力電圧は周波数帯域によって変わるわけですが、ダイナミックレンジを考慮しつつ本機の場合に換算すると、100Hzなら「〜0.011V」、1kHzなら「〜0.05V」、10kHzなら「〜0.24V」の範囲になるので図中に矢印で書き込んだ領域になります。低い周波数ほど雑音の影響を受けやすいことがわかります。
初段がパラレルではない構成ですが十分に静かなアンプに仕上がりました。試作試験段階ではアースの始末がいい加減だったため弱いハムを拾いましたが、本文に書いたとおりに変更したところハムの誘導を受けにくくなりました。出てきた音も気になる癖などなく、十分に素直で良い音でほっとしています。現在は我が家のメインシステムに組み込んで使用しています。